わたしが洗礼を受けたのは、9才の時でした。当時わたしの家族は、アメリカ人のバプテストの宣教師の教会に通っており、父と母が1年前に洗礼を受けていました。その後、後任でやってきた日本人の牧師が文語訳の聖書以外は聖書ではないということを言い出して、論争となり、わが家族はその教会をやめました。その結果、わたしは中学と高校時代を教会なしで生活しました。
中学・高校において、いろいろな問題に悩み、人生について、幸福について考えるようになりました。奇妙なことに、中学においても、高校においても、1年生の時には仲良しがたくさんいたのですが、2年と3年になると孤独になるクラスに入れられました。結局、ひとりで過ごすことが多くなりました。
大学受験についてあまり考えず、高校3年のときに、回りの友人が受験勉強をしている中で、わたしは少しもやる気が起きず、毎日札幌のジャズ喫茶やロック喫茶に入り浸っていました。
両親の手前、受験せざるをえなくなり、国立二期校の1次試験を受けたのですが、見事すべってしまいました。その試験の前の晩に、わたしは父親から渡された1冊の聖書を読みました。それは、難解な文語訳ではなく、わかりやすい口語訳でした。それまで、聖書とはわけのわからないことが書いてある書物だと思っていたのですが、開いて見ると、自分が問題として感じてきたことに明解な答えが書いてありました。それまで読んできた哲学書とか文学書にはない、力強い言葉がそこにはありました。
哲学者や文学者は「わたしは、愛とは何々であると思う。」と述べますが、聖書は、「愛は寛容であり、親切である。」と断言していました。
聖書のひとつひとつの言葉が、あたかもわたしの目の中にすーっと吸い込まれるように入ってきました。
中でもイエス・キリストの言葉は特別でした。それは、明らかに神以外のだれも語ることができない威厳と気品に満ちたものでした。
「子よ。安心しなさい。あなたの罪は赦されました。」
「青年よ。あなたに言う。起きなさい。」
わたしは、これらの言葉を読んだとき、「ああ、この方は神だ。神以外にこのような威厳のある言葉を語ることができる人はいない。」と思いました。
そして、読み進むうちに、「イエス・キリストを信じる者は罪を赦されて永遠の生命が与えられる。」と書いてあったので、キリストを信じました。
その後、ある晩、聖書を読んでいると、自分の部屋全体が白熱ランプの光で包まれたように明るく感じ、奇跡の物語まで読み進むと、あたかも自分の目の前でその出来事が起こっているように感じました。そして、「わたしを信じる者は、聖書が行っているとおりに、その人の腹から、生ける水の川が流れ出るようになる。」とのキリストの言葉を読んだときには、本当に自分の腹から水が流れ出てくるのを感じました。
浪人生活に入って、俄然勉強する意欲が沸いてきました。それまでさぼっていた分を取り返すために、1年間がむしゃらに勉強しました。希望校には合格できなかったのですが、入った大学において神様はとても大切な出会いを経験させてくださいました。
大学では、ロックバンドを組むか、漫画研究会に入るか、しか考えていなかったので、聖書研究会に入るとは考えていませんでした。単位の取り方を聞きたかったので、クリスチャンならば親切に教えてくれるだろうと思って、聖書研究会の門を叩きました。クリスチャンとは老人や年輩の方ばかりというイメージがあったので、若い大学生のクリスチャンに出会って意外な気持ちでした。彼らは普通の大学生にはない魅力がありました。明るくて、エネルギッシュで、誠実で、温かい人々でした。彼らに魅きつけられてクラブに足繁く通うようになりました。
わたしは依然としてロックをやるつもりでしたから、クラブの活動もいい加減に出席していました。部員たちは熱心に聖書を勉強していましたが、わたしはロック愛好会に片足をつっこんでいました。
しかし、3年生になったときに、クラブの部長として活動できる男性が卒業していなくなり、だれも引き継ぐ者がいなくなったため、しかたなくわたしが部長を務めることになりました。強いられたものでしたが、この活動をきっかけに神の民の集会を導くことがどのようなものであるかについて真剣に考えるようになりました。
翌年には教会の学生会の会長もするようになり、真剣に聖書の勉強をすることになりました。
大学の哲学の教授が著書の中で「現代は哲学の死の時代である。ソ連・中国の実験、イスラム原理主義の復古主義、これらは近代を越えることができなかった。近代を越えるものは何か。」と述べていました。ちょうどそのころ、ヴァン・ティルの思想を紹介されました。そこでは、近代を形作った人間理性の自律の教理が否定されていました。わたしは、彼の思想をもとに卒論を書きました。序文の中で、このように書いたことを覚えています。「近代の危機は理性の自律に原因がある。理性の自律ではなく、神の啓示に基づいてすべてのことを考え直す必要がある。」
わたしは子供の頃から、なぜ申命記やレビ記などモーセ五書にある律法について講壇から語られないのか、不思議に思っていました。ヴァン・ティルの前提主義を学んでから、わたしは神の律法を研究して、それを社会のあらゆる領域に適用すべきではないかと考えるようになり、大学の図書館にこもって律法を研究するようになりました。しかし、律法についてよい注解書がなく、ただ、1節1節を解説しているだけで、律法全体を貫く思想、つまり、聖書律法の世界観というものについて解説してある書物がありませんでした。
さて、大学を卒業して、神学校に行くことも考えたのですが、まだ明確なヴィジョンがなく、普通の就職をしました。1年目にソ連に仕事で派遣され、そこで、共産主義社会というものをつぶさに見る機会を得ました。神を除外して作り上げられた近代主義の権化とも言うべきソ連を見ることができたことはわたしにとって非常に有益でした。
帰国してから会社の仕事を続けていたのですが、自分の進むべき道が別のところにあるという思いが次第に強くなり、退職しました。神学校に入った時に、自分がこの道に召されていることを確信しました。
神学校の2年目に、アメリカでクリスチャン学生のためのキャンプがあり、それに参加することになりました。フロリダ州のパナマ・シティー・ビーチ市においてある長老教会を訪問した時に、その書店でバーゲンが行われていました。その書棚に2冊の厚い本があるのに気づきました。その本はR・J・ラッシュドゥーニーの「聖書律法綱要」と「法と社会」でした。興味深いテーマなので、買って帰りました。しかし、これは普通の十戒の解説書に過ぎないだろうと思っていたので、帰国してからしばらくの間手を付けずにいました。しかし、神学校の卒論を書く時に読み始めてびっくりしました。これは、十戒の下の細則(判例法)について解説した書物だったのです。つまり、大学時代にわたしが探し求めていた律法の解説書だったのです。それは、律法全体を貫いている世界観についてもはっきりと述べていました。
さらに驚くべきことに、わたしが神学校に入学した時に、若い牧師が入学祝いとしてくださった本がキリスト教再建運動の著書だったのです。卒論の時まで、本棚に眠っていたのですが、開けてみてびっくりしました。ラッシュドゥーニーの述べていることと非常に似たことが書いているのです。それもそのはず、それは「キリスト教倫理における神の律法」というG・バーンセンの著書で、再建主義の主要著書の一つだったのです。これで、偶然にもわたしの手元には3冊の再建主義の主要著書がそろったのです。
そして、さらに驚くべきことがありました。ちょうど卒論を書き終えた頃に、同僚の床田牧師も「聖書律法綱要」を読んでおり、再建主義を信じていることがわかったのです。そして、床田牧師に紹介されて一人の牧師に会いました。彼は日本にディスペンセーション主義の宣教師としてやってきて、後にキリスト教再建主義者になったスミス牧師です。スミス牧師はちょうど、その頃、「福音総合研究所」という再建主義に基づく研究機関を作ったところで、その部屋を借りて、3人でラッシュドゥーニーの「聖書律法綱要」を読む集まりをはじめました。
この集まりを通じて、わたしは再建主義の基本教理について理解しました。そして、これこそ、真に聖書的な教理であるとわかりました。
しかし、わたしが所属していた教会はこの教理を受け入れず、そのため、わたしはその教会と袂をわかつことにしました。
その後、スミス師の教会に行きましたが4年後、自分で新たに福音伝道の道を示されて独立しました。
現在は、一人でも多くの方々にこの教えをお伝えし、神が私たちに与えておられる使命について考えていただけることを願って活動しています。