第一戒 ヤーウェ以外のいかなるものも神としてはならない。
第二戒 偶像を拝んではならない。
第三戒 主の御名をみだりに唱えてはならない。
第四戒 安息日を覚えて、これを聖別せよ。六日間働いてすべての仕事をせよ。
第五戒 父母を敬え。
第六戒 殺すな。
第七戒 姦淫するな。
第八戒 盗むな。
第九戒 隣人に対して、偽証するな。
第十戒 隣人のものを欲しがるな。
4.賞罰
神は、契約の規則を守るものに祝福を、破るものにのろいを与えます。そのため、長期的に見て、契約を守るものは繁栄し、契約を破る悪の勢力は衰退していきます。あの毒麦のたとえ(マタイ13章)にあるように、悪は必ず歴史の進展とともに弱くなります。
5.相続
これは、長い長い闘い(*)になるので、神の民は、幾世代にもわたってこの働きを継続し発展させなければなりません。子供に神の法を教え、神の戦士として訓練する責任が他ならぬ両親に与えられています。契約を守る子孫に財産を継承させなければならないことが律法に繰り返し述べられています。このようにして、神の御国は歴史とともに拡大し、ついには全世界の国民が神の弟子となります(マタイ28・20)。
(*) もちろん、この闘いは、霊的な闘いです。神の勢力を拡大する方法は、伝道と信仰の教育によります。(マタイ28・20)われわれは、人々を強制や武力によるのではなく、人々の自覚的な回心を待ちます。これは、もっぱら聖霊の働きによります。
契約の基本目的は支配です。神が人間を創造されたのは、人間を通して世界を支配するためでした(創世記1・28)。それゆえ、神が人間と結ばれた契約も、支配を目的としていると言うことができます。
神と人間の関係は、あのミナのたとえ話(ルカ19章)や、ぶどう園のたとえ(マルコ12章)などのように、自分の財産を管理させる主人と管理を任された下僕の関係にあります。神は、人間に管理させるために地球を創造されました。したがって、今日の進化論や宇宙起源説のように、聖書において人間は脇役に追いやられていません。神は、人間が登場する前から、人間が住むための場所として天地を造られたのです。「これを形のないものに創造せず、人の住みかに、これを形造られた方。」(イザヤ45・18)。
また、万物は、人間と神との契約の中において、統治する対象として神から与えられたものなので、ことごとく、「契約」の文脈の中に置かれていると考えられます。すなわち、契約の文脈から離れたものは一切存在しないのです。例えば、真の科学は、「契約的科学」であり、神の主権を前提としない科学は正しい科学と言うことはできません。真の政治とは、神を究極的権威とするものあり、人間に主権を与える政治は、それが君主制であれ、代議制であれ、民主制であれ、偽りの政治です。政治、経済、芸術、あらゆる領域は、神の契約の五条件に合致しなければならず、神の主権を確立するものでなければなりません。
参照:Ray Sutton, That You May Prosper: Dominion By Covenant, Institute for Christian Economics, TX 1987.