第四戒 第1節
自由のしるし
安息日を規定する第四戒は、法的な意味だけではなく、預言的な意味においても重要である。クラインは、これについて次のように述べている。
出エジプト記20章2-17節の十戒の言い換え(variations)の中で最も重要なものは、第四戒である。安息日を中心とした契約的生活のサイクルは、神の活動を特徴付ける完成の原理――神は働き、目的を達成し、休み、そして結果を楽しまれる――を象徴している。出エジプト記20章11節が、創造の完成の型を安息日の原型として表示しているのに対して、申命記5章15節は、贖いの完成の型を安息日の原型として表示している。贖いの御業の中において、神の選びの民は、神の勝利によって安息に導き入れられた。そのため、安息日が、神と御民との間に結ばれた契約のしるしとされたのは、きわめて当然のことである(参考・出エジプト記31・13-17)。神は、御民をエジプトの奴隷状態から贖い、カナンの地をお与えになった。申命記が、安息日を、神の贖いの御業の進展との関連でとらえているのと同様に、新約聖書も安息日を救い主の復活による勝利に結び付けている。復活の勝利によって贖われた民は、彼とともに永遠の安息に入る。1
安息日の原型は、神の創造の休みであり、安息日の目標は、贖いによって得られる休息にある。第四戒において「覚えよ」という言葉が使われているのは、読者に創造を思い返させるためである。それは、人々に、かつて安息日を守った記憶をよみがえらせるためではなく、むしろ、これから安息日の掟について思いを致すよう命令している。週ごとの休息は、他の文化には見られない習慣であり、聖書の信仰と文化の影響下にない土地にはまったく存在しない。たしかに、古代文明の中には、現人神である王の誕生日を祝日とするものもあった。しかし、「贖いの休息――労働が完全に祝福されるような完成された秩序、神ご自身がお立てになった秩序――こそが歴史の目的である」とする聖書の見解は、聖書的信仰がない文化の中ではまったく見られない。神はイザヤを通じて次のように宣言された。「しかし、悪人は、泥や汚物を巻き上げる、荒れ狂う海のようで、休みがない」(イザヤ57・20、21)。
非再生者の世界は、つねに安息と、創造の輝かしい休息を求めているにもかかわらず、そうすればするほど、ますます「泥や汚物を巻き上げ」、不安と騒乱の深みに嵌る。
安息日は、自由の侵害ではなく、むしろ、人間の解放である。2
安息日は、神の権威、神の法の下における自由の原理を主張する。それは、人間を自分自身とこの仕事から解放するために、休息の命令を守れと呼びかける。ヒューマニズムの本質は、「人間は万能である」との信仰にある。人間は自分自身を救い、自分自身と社会をさらに進化させ、自分や世界、天候、その他すべてをコントロールすることができると考えている。万物をコントロールし、その秩序を再編するならば、人間は世界を天国に変えることができるだろう、と主張する。マルクス主義者であれ、フェビアン主義者であれ、民主主義者であれ、ヒューマニストはこのことを夢見ている。
ヒューマニズムとは、「人間のプロレタリア化」の主張でもある。ピーパーが述べるように、「プロレタリアとは、労働の過程に縛り付けられた人間のこと」である。3 プロレタリア革命の指導者たちは、人間を労働から解放することを夢見ている。彼らにとって、これは、人間を神から解放することでもある。スターリンはこのように言った。
もし神が存在するならば、神は奴隷制や封建制や資本主義を運命づけたに違いない。僧侶たちが常々私に語っていたように、神は人間を苦しめたいのだ。だから、抑圧者から自由になるためにどんなに民衆が苦労しても希望はまったくない。しかし、神が存在しないと分かってから、私は、人間が自由への戦いを戦い抜くこができると確信できるようになった。4
「もし神が存在しなければ神の摂理もなくなり、その結果、人間は労働を通じて自分自身が摂理となれる」とスターリンは言った。つまり、「神の完全支配は、人間の完全支配に置き換えられなければならない」と。これは、膨大な労働と犠牲を意味する。最終的な結果として、解放された理想の人間が登場する。
スターリンは「万人は、社会主義のもとで成長し、ミケランジェロやゲーテのような社会主義以前の巨人たちを凌駕するほどにまでなるだろう」と予測した。しかし、スターリンが言うところの「未来の人間の理想像」ほど、ミケランジェロやゲーテと似ていないものはない。彼によれば、未来の人間は、当時の「新ソヴィエト人」のようである、という。つまり、熱心に働き、完全に献身的で、完全に自分を殺し、完全に従順なスタハノフの労働者や他の英雄に似ているという。世界は、スターリン時代の共産主義者の理念が目指す姿に変わらねばならない。それは、実際、スターリンのロシアが発展したもの――つまり、全世界に広がり繁栄に終わる世界、共産主義の完璧な法律に自発的かつ完全に服従する人々以外は徹底的に排除される世界――である。5
スターリンは、真の安息日、人間の真の休息を求めて、次の2つのことをした。第一に、彼は、歴史上他のどの独裁者よりも多くの人を奴隷化した。第二に、彼は、歴史上他のどの人よりも多くの人を殺した。人間が自前の思想に基づいて天国に入ろうとすると、逆に地獄に落ちることになる。
安息日の律法をさらに詳しく見ていくと、すぐに「安息日の原理は聖書律法の基礎として存在し続けているが、安息日の守り方は、キリストにある新しい契約においては極端に変化した」ということが分かる。
まず、旧約律法の安息日は、「礼拝」の日ではなく、休息の日であった。週ごとの礼拝のパターンは、旧約律法には記されていない。これは、中間時代にシナゴーグにおいて導入されたものであり、新約聖書はそれを守り、奨励している(ヘブル10・25)。旧約聖書において、礼拝は、家庭中心であり、日常生活の中に組み込まれていた。家庭礼拝は、今でも日常生活において実践すべきことではありますが、今日では、それに加えて集団礼拝も行う必要がある。たしかにこの集団「礼拝」は、「休息」と密接に関係し合っているので。しかし、それを「休息」と混同したり、同一視したりすべきではない。「休息」は、救いの現実や贖い、解放の事実、そして、全生活と関係している。「休息」は、ここで神の御業への信頼を意味している。仕事を休むことによって、われわれは、神の御業への全的信頼を表現する。つまり、[休みの間、われわれの代わりに]神が働いて仕事を完成してくださるという信仰を表明する。荒野におけるマナは、聖なる休息を表する。「マナが十分に与えられていることを信じつつ安息日を守れ」との命令は、神が必要なものを備えてくださるという事実を補強している。このような神が働かれる時に、人間は休むことができるし、また、休まなければならない(出エジプト記16・14-36)。
第二に、安息日の「休息」は、厳格な律法によって規定されていた。律法が命じたのは「礼拝」ではなく、「休息」であった。一般律法は、「安息日にどの仕事もしてはならない」と命じている(出エジプト記34・21、申命記5・12-15、出エジプト記20・8-11、レビ記23・3、エレミヤ17・22)。「門は閉じられなければならない」(ネヘミヤ13・19)。「すべての人は自分の場所に留まらねばならない。七日目には、誰も自分の場所から出てはならない」(出エジプト記16・29)。ロバに荷を負わせてはならない(ネヘミヤ13・15)。それに、いかなる仕事もさせてはならない(エレミヤ17・21,22)。火を点してはならない(出エジプト記35・3)。束を運び入れてはならない(ネヘミヤ13・15)。薪を集めてはならない(民数記15・32-35)。糧食や商品を運び入れたり(ネヘミヤ10・31)、売りさばいたり(ネヘミヤ13・15)してはならない。ぶどう酒を作るためにぶどうを踏んではならない(ネヘミヤ13・15)。しかし、安息日の本質は贖いにあるので、安息日でも救命活動は許されていた(マルコ3・4、ルカ6・9)。病人を癒したり(マタイ12・10-13、マルコ3・1-5、ルカ14・3,4、6・8-10、13・14-16、ヨハネ7・23)、穴に落ちた動物を救ったりすることができた(マタイ12・11、ルカ14・5)。空腹を緩和することは贖いの一部なので、安息日に飢えた人が「穀物を摘んで食べ」(マタイ12・1-8、マルコ2・23-28、ルカ6・1-5)たり、喉が渇いた人が水を飲んだりすることは正当であった。動物に水を飲ませることは安息日の戒めを守ることになった(ルカ13・15)。贖いとは、神の敵を打ち負かすことなので、「敵の攻撃に対抗することは安息日の規定と調和する」というマカベヤ家が最終的に出した結論は正当なのだ(1マカベヤ2・41)。6 これらの律法は、「安息日の本質は贖いの休息の勝利にある」ということを明らかにしている。マリアの頌栄は、メシアを通じてもたらされる贖いを賛美しているので、本質において安息日の歌であり、安息日礼拝の一部としてふさわしい内容になっている。
わがたましいは主をあがめ、
わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえる。
主はこの卑しいはしために目を留めてくださったからである。ほんとうに、これから後、どの時代の人々も、私をしあわせ者と思うだろう。
力ある方が、私に大きなことをしてくださった。その御名は聖く、
そのあわれみは、主を恐れかしこむ者に、代々にわたって及ぶ。
主は、御腕をもって力強いわざをなし、心の思いの高ぶっている者を追い散らし、
権力ある者を王位から引き降ろされる。低い者を高く引き上げ、
飢えた者を良いもので満ち足らせ、富む者を何も持たせないで追い返された。
主はそのあわれみをいつまでも忘れないで、そのしもべイスラエルをお助けになった。
われわれの先祖たち、アブラハムとその子孫に語られたとおりです(ルカ1・46-55)。
第三に、復活後も、教会において安息日違反者に対して刑罰が続けて課せられたという証拠は見当たらない。初期の弟子たちやクリスチャンは、ユダヤ人だったので、しばらくの間、旧約聖書の安息日を守っていた(使徒13・14-26、16・11-13、17・2,3、18・1,11)。しかし、クリスチャンにとって礼拝は、週の第一日目、つまり、五旬節の日であると同時に復活の日でもあった日に行われた(マタイ28・1、マルコ16・1,2,9、ルカ24・1、ヨハネ20・1-19、使徒20・6-8、1コリント16・1,2)。多くの改革主義の教会員は、聖書に記された唯一の法は安息日の遵守であると考えているように見受けられるが、これは、明らかにカルヴァンから出た教えではない。というのも、カルヴァンは、『ジュネーブ教会信仰問答』において次のように述べているからである。
問:神は我々に六日間働き、七日目に休むよう命令しているか。
答:必ずしもそうとは限らない。神は、人間に六日の間労働をすることを許したが、七日目は例外として、それを休息のために使うようお定めになった。
問:神は我々にあらゆる種類の労働を禁止しておられるのだろうか。
答:この戒めには、独特の理由がある。休息の遵守は、古い儀式の一部であり、それゆえ、キリストの来臨によって廃止された。
問:ということは、この戒めはユダヤ人だけに関するものであって、それゆえ、一時的な戒めであるということなのだろうか。
答:そうである。儀式律法である限り。
問:すると、儀式を越えた教えはそのうちにあるのだろうか。
答:この戒めには3つの目的がある。
問:何だろうか。
答:霊的休息を表現するため。教会秩序を維持するため。奴隷の救済のため、である。
問:霊的休息とは何ですか。
答:神がご自身の御業を我々のうちにおいて行ってくださるために、仕事を休んで休日を守る、ということである。
問:どのようにしたら、このように休日を守れるのだろうか。
答:我々の肉を十字架につけることによって、つまり、聖霊によって支配されるために、自分の欲望を捨ててしまうことによって。
問:七日目にこれを行うだけで十分だろうか。
答:いいえ。絶えず行う必要がある。ひとたびそれを始めたならば、それを一生の間継続しなければならない。
問:それでは、なぜそのことを象徴するために特定の日が指定されているのだろうか。
答:象徴が必要であり、しかも、それが相応しい象徴である場合、現実が象徴とあらゆる点で一致する必要は必ずしもない。
問:しかし、では、他の日ではなく、なぜ七日目でなければならないのだろうか。
答:聖書において、七という数字は完全を表する。そのため、それは永遠性をも表す。同時に、それは、「この霊的休息はこの人生において始まりに過ぎず、我々がこの世を離れるまで完成されることはない」ということも示している。
問:主が、ご自身の模範を示して、我々に「休息せよ」と言われた時に、主はこれを通して何を言おうとされたのだろうか。
答:六日間でこの世界の創造を終了された時に、神は、第七日目を御業の完成の日に当てられた。我々がこの戒めをますます熱心に守ることができるように、神は模範を示された。神の似姿である人間にとって、神の模範以上にすぐれたものは何もないからである。
問:神の御業への黙想は常に行うべきなのだろうか、それとも、七日のうちの一日だけをそれに費やすべきだろうか。
答:毎日行うべきである。しかし、我々は弱い者なので、ある特定の日が指定されている。そしてこれこそが、私が述べた神による統治体制である。
問:では、この日にはどのような命令を守るべきだろうか。
答:我々はキリストの教えを聞くために集まり、公の祈りをなし、信仰を告白すべきである。
問:奴隷を休ませるためにもこの戒めは与えられているとおっしゃいたが、それはどのような意味だろうか。
答:他人の権威の下にある人々にいくらかの休息を与えなければならない、ということである。このことも、神の体制全般を支える働きをする。
問:それは我々にどのように適用できるか。
答:キリストにあって本質が現われた(コロサイ2・17)ので、儀式としては廃棄された。
問:なぜだろう。
答:キリストの死によって、我々は、自分のうちにある古い人が十字架につけられ、新しい人生によみがえったからである(ローマ6・6)。
問:では、その戒めのうち我々のためには何が残されているか。
答:教会の霊的統治体制に関わる命令を無視してはならない、ということである。とくに、聖なる集会をしばしば開き、神の御言葉を聞き、聖餐の祝いをなし、通常の祈りを捧げなければならない。
問:この象徴が表すものは以上ですべてだろうか。
答:はい。我々は、それが指し示していることを注意して守らねばならない。つまり、キリストの体につなげられ、その一員となった以上、我々は、仕事の手を休めて、自分自身を神の御支配にゆだねなければならない。7
パウロは、安息日の規定にはもはや昔のような効力はない、と強調している。「それゆえ、食べ物や飲み物、聖日、新月、安息日について誰からも裁かれてはならない。これらは、来るべきものの影であり、本体はキリストにあるからである。」(コロサイ2・16、17)。「安息日を破る者は昔のように処刑されるべきだ。キリスト以降もその規定は有効である」と主張する人は誰もいないだろう。新約聖書全体は、そのような解釈を禁止している。しかし、これと同じくらい明らかなのは、かつて違反者を処刑した律法には、人間や自然にとって基本的な原理が含まれているため、その実質は何らかの意味においていつの時代においても有効である、ということである。(これについては、他の章で述べる。)
第四に、安息日の法的な立場が変わっただけではなく、休息の日もヘブライの安息日からキリスト教の復活の日に代わった。申命記の法(申命記5・12-15)から明らかなのは、「ヘブライの安息日はエジプトからの救いを祝う祝日であった」ということである。「あなたは、自分がエジプトの地で奴隷であったこと、そして、あなたの神、主が力強い御手と伸べられた腕とをもって、あなたをそこから連れ出されたことを覚えていなければならない。それゆえ、あなたの神、主は、安息日を守るよう、あなたに命じられた。」(申命記5・15) このように、安息日には、ヘブライ人の贖いが祝われていた。キリスト教の安息日は、罪と死に対するキリストの勝利を記念するため、週の初めの日、復活の日に祝われる。この日を拒絶することは、キリストの贖いを拒絶し、他の許されざる方法によって救いを求めることを意味する。
第五に、「ヘブライの安息日は現代の土曜日に当る」と考えることはできないカーティス・クレア・ユーイングがはっきりと述べているように、イスラエルの暦を見るときに、このような考えは否定される。シナイに滞在していたイスラエル人が持っていた暦は、太陽暦であり、紀元359年にはじまる現代ユダヤ太陽太陰暦と混同してはならない。ユーイングは、不幸にも時折「[天体の]月」が「[暦の]月」と訳されており、これが混乱の原因となっているという事実に注意を喚起している。聖書は3つの安息日について述べている。創造における安息。エジプトからの救いを祝ったヘブライの安息日。「キリストの完全復活を記念し、今残っている唯一の安息日である」8 キリストの安息日。ユーイングが指摘するように、第4戒は「思い出せ」と命じている。それは、創造の安息日、神の休息を契約的休息の模範として想起させるからである。
安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。
しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。――あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も。――
それは主が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。(出エジプト記20・8-11)
申命記において、イスラエル人は「思い出せ」とは命令されていない。というのも、そこでは創造の安息日の模範は視野に入れられていないからである。イスラエル人は、エジプトからの解放を記念して安息日を「守れ」と命令されている。
安息日を守って、これを聖なる日とせよ。あなたの神、主が命じられたとおりに。
六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。
しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。――あなたも、あなたの息子、娘も、あなたの男奴隷や女奴隷も、あなたの牛、ろばも、あなたのどんな家畜も、またあなたの町囲みのうちにいる在留異国人も。――そうすれば、あなたの男奴隷も、女奴隷も、あなたと同じように休むことができる。
あなたは、自分がエジプトの地で奴隷であったこと、そして、あなたの神、主が力強い御手と伸べられた腕とをもって、あなたをそこから連れ出されたことを覚えていなければならない。それゆえ、あなたの神、主は、安息日を守るよう、あなたに命じられた。
(申命記5・12-15)
エジプトからの救いのゆえに、イスラエルは「だから」安息日を守られなければならない。必要な休息の範囲は、申命記にさらに具体的に記されている。
ヘブライの暦は、エジプトからの解放の日から始まっている。ユーイングが指摘するように、ヘブライ人はエジプト人の12ヶ月と30日の暦を保有していたが、年の最後に5日を追加するのではなく、第6月の月末に3日を、第12月の月末に2日を追加した。最初の月であるアビブ月の第15日は毎年安息日でなければならなかった。これは、アビブ月の第15日以降の7個の安息日がそうであるように、アビブ月の第1日と第8日も固定された安息日であったということを意味する(レビ記23•6、7、11、15−16)。50番目の日は、五旬節(ペンテコステ)になった。
アビブ月の第15日の安息日が固定されていたので、これらの7つの連続した安息日(アビブ月22、29日、イヤル月6、13、20、27日、シヴァン月4日)も固定された日であったはずだ。これらの安息日が毎年月の固定日に来ない限り、アビブ月15日からシヴァン月4日までの7つの安息日が完了する可能性はまったくない。9
「月の日」が一定であれば、「週の日(=曜日)」は変化する。「これは、自分の誕生日が毎年異なる曜日にあたるのと同じように、7年に1度それぞれは週の各1日にあたる。」10 さらにユーイングは次のように言った。
しかし、これがすべてではない。出エジプト記12•3、5、6、24とレビ記23•15によれば、アビブ月の10、14、16日が絶対に安息日にならなかったのは、それらが特別な命令により労働をすべき日だったからである。つまり、家の掃除、家畜の屠殺、畑の刈り入れにあてる日だった。我々は、これらの日が7年ごとに土曜日にあたることを知っている。仮に土曜日が安息日であれば、命令の対立が生じるだろう。イスラエルが働くように命じられた3日は、7年ごとに、イスラエルが働いてはならないと命じられた日にあたってしまうということになるのだ。神が混乱の元になることはないので、我々はこのことがけっして起こらないということを知っている。
我々はここで、聖書とその中にある暦によって、「イスラエルの安息日は毎年月の同じ日付にあたるように固定されていた」ということを示した。これら15回の通常の安息日が毎年同じ日にやってきて、指定された3労働日が毎年同じ日付にやってくるので、土曜日が安息日であったはずはない。
一年を365日とし、その365日を7で割ると、52週と1日になる。そこで問題は、その余分な日はどこに行ったのか、ということである。それは、レビ記23・15、16、21で示されているように、シヴァン月の第4日と第5日にやってきた48時間の安息日に吸収された。これにより、毎年、安息日を祝う曜日は変化した。しかし、同時に、月の同じ日に訪れる7日循環の固定安息日も保全されていた・・・。
聖書には、安息日の長さを決めるための記述はどこにもない。聖書は同じ言葉を使用している。(1) 1日の休み(出エジプト記20・8-11、申命記5・12-15)、(2) 2日間の休み(レビ記23・15、16、21)、(3) 1年間の休み(レビ記25・4、8)、(4) 2年間の休み(レビ記25・8-12)、(5) 70年の休み(2列王記36・21)。
「Sabbath(安息日)」という言葉の意味は、「休止」または「休息」である。休息の間に働いたのでない限り2回休むことはできない。この48時間の安息日は、2回の休息または安息日ではなく、1回の休息または安息日を2日に引き伸ばしたものに等しかった。ひとつの例:第49年目と第50年目の年はすべて土地を休ませなければならなかったが、これは、土地の休息を2回行ったということではなく、2年間にわたる土地の休息を1回行ったということであった。そのため、2年間の安息は50年に1回行われた。それゆえ、神が「7番目の安息日」と「7番目の安息日の翌日」の両方を安息日とせよと命令された時に、それは、48時間から成る1つの安息日を意味していたということになる。なぜならばその2日の間に仕事は行われなかったからである。
同じように、「必要の法」によって、我々は以下のことを知っている。すなわち、「ティシュリ月の第1日目は毎年安息日でなければならなかったと示されたので、年末の追加5日間のうち3日間がエリュル月の月末に追加された」ということを。エリュル月の最後の安息日は、その月の第27日であり、その月は3日しか残っていなかった。しかし、次の安息日の前に6日の労働日を備えるためには、ここで3日を加える必要がある。同じように我々は「追加5日のうち残りの2日は、アダル月の月末に追加された。」ということを知っている。毎年アビブ月の第1日は安息日であったということを示したが、アダル月の最後の安息日は26日であり、30日まで4日を残していた。それゆえ、次の安息日までに6日の労働日を備えるためには、我々はここで2日の労働日を挿入しなければならない。11
ここにもっとも簡潔な概要文の中に引用されているユーイングの注意深い研究からはっきりと分かるのは、「土曜日を真の安息日にしようとするキリスト教の試みですらも、イスラエルの安息日から遠くかけ離れているがゆえに、非聖書的である」ということである。
第六に、すでに見たように、安息日は、休息の日、贖いの日、解放の日である。ヨベルの安息日の大宣言は、「全地のすべての住民に対して自由を宣言すること」です(レビ記25・10)。しかし、奴隷の保障と「休息」は擬似休息になることがあった。
刑罰として強制的に奴隷にさせられる人がいた。償いを行わなかった泥棒は、奴隷として売られた(出エジプト記22・3)。借金の代わりとして人が売られる場合もあった(申命記15・12)。クラークが述べたように、「労働の値が、償わねばならない金額と同等になった場合、その労働は終了した。またそれは最長でも6年間に限定されていたと考えられている。」12
自由を捨てて、自ら奴隷になる人もいたが、安息年には解放された。奴隷の身分であり続けることを望んだ人もいた。その場合、自分の耳を突き刺して、自分があたかも女性のように、恒久的な従属の状態にいるということを示した(出エジプト記21・5-7)。不信者は、生まれながらの奴隷であるから[訳注:つまり、生まれながらのサタンの奴隷を象徴するから]、この形式を取らずに終身の奴隷として留まることがあった(レビ記25・44-45)。奴隷が主人に鞭打たれることがあり(出エジプト記21・20、申命記23・15)、虐待によって不具にさせられた場合は、それがユダヤ人であれ外国人であれ、自由の身になった(出エジプト記21・26-27、レビ記24・17)。奴隷は割礼を受けなければならず(出エジプト記12・44、創世記17・12)、聖なる食物を食べることができた(レビ記22・10ff、出エジプト記12・44)。奴隷は、家の中である権利と地位を与えられ(創世記24・2)、相続に与った(箴言17・2)。第4戒が述べるように、安息日に休息する権利を有していた。
借金と盗みの場合を除き、奴隷は生まれながらの奴隷か、もしくは、自由選択による奴隷のいずれかであったから、逃亡奴隷は自由になることができた。そのような奴隷を主人のもとに戻すことは禁止されていた(申命記23・15、16)。
クリスチャンは自発的に奴隷になることはできない彼らは、人の奴隷になるべきではない(1コリント7・23)。または「再び奴隷のくびきにつながれてはな」らない(ガラテヤ5・1)。奴隷制や社会主義、福祉主義という、似非保障や擬似解放の道を、クリスチャンは選択してはならない。クリスチャンの安息日は、社会主義の奴隷制ではない。
1. Kline, Treaty of the Great King, p. 63 f.
2. 「安息日、悪魔礼拝、プロレタリア革命」については、R. J. Rushdoony, The Politics of Guilt and Pity, Studies in Political Justification (Nutley, N. J.: The Craig Press, 1970), sec. I, chap. 7. を参照。
3. Josef Pieper, Leisure, The Basis of Culture (New York: Mentor-Omega, [1952] 1963), p. 50.
4. Stalin, in Finskii Vestnik (December 17, 1928), p. 11; cited by Francis B. Randall, Stalin’s Russia (New York: The Free Press, 1965), p. 65.
5. Randall, p. 94. 未来の人間に関するスターリンの発言については、Finskii Vestnik (December 17, 1928), p. 41. を参照。マルクスとトロツキーも同じ意見であった。
6. Clark, Biblical Law, p. 210f.
7. John Calvin, Tracts and Treatieses (Grand Rapids: Eerdmans, 1958), II, 61-63.
8. Curtis Clair Ewing, Israel’s Calendar and the True Sabbath (Los Angeles: The National Message Ministry, n.d.), p.9.
9. Ibid., p. 14.
10. Ibid., p. 15.
11. Ibid., p. 15f.
12. Clark, Biblical Law, p. 268.