カルケドン・レポート翻訳




力の御名


R.J.ラッシュドゥーニー


 ミカ4章5節に、素晴らしい預言が記されています。「まことに、すべての国々の民は、おのおの自分の神の名によって歩む。しかし、私たちは、世々限りなく、私たちの神、主の御名によって歩もう。」「御名によって歩む」とは、その呼ばれた人格もしくは権威の持つ力と権威によって歩むことを意味します。昔、「王の名によって、開け。」とか、「法の名によって」という表現がありましたが、これらはその実例です。私たちが正しく呼び求めるならば、その名前や権威によって私たちの力は増し加わるのです。それゆえ、私たちは「イエスの御名によって」(つまり、彼の人格と権威によって)祈るのです。

 H.W.ヘングステンベルクはずいぶん昔、ミカの意味を次のように解釈しました。「すべての人の運命は、彼らの神の性質に比例する。」つまり、もしあなたの神が自分自身であったり、人間であるならば、あなたの権威は有限で貧弱なものでしかないのです。

 今日非常に多くの教会が無力になっているのは、彼らの神がしだいに聖書の神と掛け離れてきたからにほかなりません。彼らの神は有限で、感傷的で、裁きを下したり真に贖うことなどできず、小さく、弱く、無能です。アドバイスはできても、私たちを治め救うことはできません。

 「(私たちの)神の御名によって歩む」とは、神のすべての御言葉に誠実にしたがうことを意味します。神は現代の「おもらい信仰」の神ではありません。この「信仰」は、「神はどんな素晴らしいことを私たちにしてくれるでしょうか」という問い掛けばかりをしています。

 アンテオコス・エピファネス[ユダヤを支配したシリアの暴君]の治世に、ユダヤ人は神の御名を口にすることを禁じられました。この暴君は、ユダヤ人の会話や活動において力の御名が口に上ることを恐れたのです。この政権が倒された時、ハスモニア王朝の支配者たちはこの禁令を解除しました。しかし、ラビたちはこの聖なる御名が続けて人々の口に上らないように命令を出してくださいと願ったのです。シリアの暴君が成し遂げられなかったことを、ユダヤの宗教的指導者たちが成し遂げたのです!

 三位一体の神の御名を唱えるということは、神の御臨在、法、力を呼び出すことにほかなりません。アングロサクソンの時代から今日にいたるまで、英語の「name」は「呼ぶ」とか「唱える」という意味です。使徒たちは病人の癒しを「イエス・キリストの御名によって」行いました。これこそキリストの御力を呼び求めることです。神にお仕えするように任命され、その任務を忠実に行う彼らは、御名を呼ぶことによってキリストの御力を呼び求めたのです。

 ヘングステンベルクの言葉をもう一度見てみましょう。「すべての人の運命は、彼らの神の性質に比例する。」今日、数多の偽りの神が教会を支配し、そのうえ、教会はそのような神を宣べ伝えています。その結果、私たちの回りにはどうしようもない程の無能力な世界が広がっているのです。…

 生ける三位一体の神を礼拝し、その教えに服従する人々は、キリストの御名によってこの世の悪に立ち向かわなければなりません。彼らは彼らの主の御力によって「圧倒的な勝利者になるのです」(ロ−マ8:37)。教会は世に打ち勝つことはできません。私たちも世に勝つことは不可能です。しかし、キリストは世に打ち勝つことができます。そして、彼はすすんで世を打ち負かされるのです。私たちは、生けるまことの神を信じない限り、弱く、無力なままです。しかし、もし生けるまことの神を信じ、その御名と力と権威によって歩むならば、私たちは勝利を得ることができるのです。(Chalcedon Report, January 1993.)

This article was translated by the permission of Chalcedon.







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