後千年王国説対無能宗教
R・J・ラッシュドゥーニー
十七世紀から今日に至るまで、世界においてイギリスとアメリカは明らかに卓越した国家でありました。これには、多くの要因や理由が挙げられるでしょう。しかし、人々に活力を与え、活動に駆り立てる動機を与えたのは、他ならぬ後千年王国的信仰でありました。ブライアン・W・ボールは、1660年以前の英国新教の終末思想に関する研究論文に『偉大なる期待』という題を付けました。1 しかし、これではまだ不十分です。むしろ、『偉大な活動にエネルギーを供した偉大なる期待』としなければならないのです。
アメリカ史において後千年王国説がどのような影響を及ぼしてきたかについて簡潔な分析を加える前に、まずこのテーマをめぐって広範に信じられているいくつかの神話を取り扱う必要があります。第一、特に、H・リチャード・ニーバーの『アメリカにおける神の国』(1937年)が出版されてから、「後千年王国説は社会的福音を生み出した」と広く信じられるようになりました。ニーバーははじめ、「本書の内容は、ハーバード神学校における1936年の一連の講義をまとめたものである」と述べたので、問題の一因は、いくつかの事柄を記述するために用いられたあいまいな言葉使いにあるのかもしれません。しかし、その核心は、多くの人々の心が「時間的連続は、必然的論理的関連・連続を意味する。」というあまりにも単純化された考えによって惑わされていることにあります。つまり、彼らは「後千年王国説はアメリカに於ける基本的神国概念であったので、社会福音の神国概念も後千年王国説の生み出した論理的・必然的結果である。」と信じているのです。これは行きすぎた「論証」です。ニーバーはアメリカ史の神学的動因に三つの段階を与えています。つまり、(一)神の王国、主権者としての神、カルヴァン主義的後千年王国信仰、(二)キリストの王国、アルミニウス主義的、相対主義的、霊魂救済中心、無千年王国説及び前千年王国説的終末論、(三)社会福音的神の王国、モダニズム的、ヒューマニズム的、社会主義的(国家主義的)。(一)から(三)へと飛躍するのは、あまりにも非論理的・非合理的です。もしカルヴァン主義後千年王国説が原因ならば、アルミニウス主義と信仰復興主義も同様にその論理的結果でなければなりません!また、アルミニウス信仰復興主義が社会福音やモダニズムを生み出したとも結論しなければならないのです!しかし、歴史は単に論理的に発展するだけではなく、そこには対抗的信仰も含まれ、それらが興隆したり衰微したりしながら進むのです。ここに三つの異なる宗教的見解があります。これらは相互に反目しあっています。「後続思想の内に、カルヴァン主義後千年王国説の痕跡が遺っている」と考えることはできます。「アルミニウス主義的前千年王国説的信仰復興主義や無千年王国説的制度主義やモダニズム的社会福音は、カルヴァン主義的後千年王国説と随分異なる考え方であり、その産物であるとは言えない」という意見は、それと同じくらい容易に受け入れられるのです。
ニーバーの著作は、歴史の「記述」であって、歴史に於ける因果関係の分析ではありません。2 もしヒューマニズムによって歴史の意味を読みとろうとするならば、あらゆる意味を歴史から引き出すことになります。その時、意味を探ることをあきらめるか、それとも、ヘーゲルにしたがって、論理的連続を要求する意味を見る以外ありません。もし意味が神学的であるならば、それは歴史を超越した所から来、しかも、歴史において明らかにされたものです。H・リチャード・ニーバーは歴史の意味に対していかなる解答も持ち合わせていません。そのため、彼の分析は混乱しているのです。
第二、一般に、後千年王国説の信仰と「自明の運命」説[訳注:アメリカ合衆国は北アメリカ全土を開発し、支配すべき運命をになっているという理論]・帝国主義を混同して見る見方があります。自明の運命説と帝国主義的衝動の影響は、多くの学者によって過大に見積もられてきました。また、これらがキリスト教後千年王国主義的希望とあまりにもしばしば混同されてきたのです。メルクは、おざなりな読み方をした多くの読者から誤解されてきました。しかし、その著書『アメリカ史における自明の運命と使命』はこれら三つを注意深く区別しています。自明の運命は大陸主義であり、北アメリカの吸収と、全大陸において自由な秩序を確立することを意味しました。帝国主義は、力によって世界中の領土を併合・獲得することに興味を示します。しかし、どちらの思想も支持者を獲得しましたが、これまでアメリカ人の生活や思考を支配したことはありませんでした。合衆国は帝国主義と自明の運命説というどちらの「罠」からも逃れたと述べた後で、メルクは次のように述べています。
国民的精神を本当に表しているのは「使命」という言葉である。これはアメリカの歴史が始まってから今日に至まで存在し続けている理念である。これは、理想主義と自己否定に基づいており、神が国家の熱望に味方をしてくれることを期待するものであった(もっとも、それを確信したことはなかった)。危急・試練・大難の際に、この理念はしっかりと聞き届けられたのである。それは、献身の言葉であった。すなわち、アメリカ文明の永続的価値に対する献身の言葉であった。3
奇妙なことに、自明の運命説、帝国主義、使命(後千年王国説)の間に存在するこれらの相違点は、多くの学者によって注目されてきませんでした。チェリーが著した卓越した資料集『神の新しいイスラエル』は、「実際のところ、これら三つはすべて後千年王国説であった」と仮定しているのです!4
第三、ある著者たちは、特にツヴェソンは、「漸進主義やキリスト教の普及は世俗主義を意味する」と仮定しています。5 それでは、革命や歴史的シニシズムもキリスト教であると仮定しなければならないのでしょうか。自ら認めているとおり、ツヴェソンは、『千年王国とユートピア』及び『贖罪者国家』の両著において、明らかにラインホルト・ニーバーの影響を受けています。6 ツヴェソンや他の人々の後千年王国説に対する敵意は、聖書信仰と歴史に対するニーバーのシニシズムに基づいているか、そうでなければ、歴史を支配される神を否定した結果、必然的に、歴史や他の全ての事柄に対する意味や方向性を否定せざるをえなくなった人々と共通の信仰を有しているかのいずれかなのです。カール・バルトや他の人々が、無千年王国説や前千年王国説に親近感を覚えたとしても極めて当然です。というのは、歴史に対する絶望は彼らにとって真に実存的信仰のしるしだったからです。
それゆえ、後千年王国説の批評に関して、ニーバーやツヴェソンや他の人々に頼る人々はみな、極めて危険な土台の上に立っているのです。
後千年王国説は、アメリカ両大陸の発見と開拓を進める上で、非常に強力な動機となりました。クリストファー・コロンブスを理解する上で、彼の信仰を無視することはできません。一般に、歴史家たちは、終末論に関する様々な主張について無知であり、これらをひとまとめにして「千年王国主義」と呼ぶか、フェリペ・フェルナンデス−アルメストのようにすべてを神秘主義と表現します。7 しかし、コロンブスは「全地は王なるキリストの主権の下に置かれなければならない」とのイザヤの預言を信じて航海を進めました。8 リチャード・ハクライトの『主要な航海・船旅・貿易とイギリス国民による[地理的]発見(1589、1598 年)』は、初期の探検家たちがいかに強い千年王国的動機を持っていたかを明らかにしています。確かに、そこには例外もあったでしょう。しかし、探検と発見の時代は、いつの時にも、終末論の新しい解釈に基づいていたのです。
「初期の入植者たち」の中には、古典的ヒューマニズムを期待し、希望する者がいました。新しい土地はおそらく、地上の楽園であり、まだキリスト教によって汚染されておらず、生まれながらの善人が住む場所であろう、と考えられていました。しかし、「建設者たち」の大多数は、神の新しいイスラエルを建設し、アメリカを、キリストのために全世界を征服する出発点にしようとやってきた人々でした。植民時代のアメリカはこの希望を無視しては理解することができません。他の終末論へ漂流した後で、後千年王国思想はジョナサン・エドワーズと彼の追従者たちによって復活しました。実際、ハイマートは、この後千年王国的衝動を抜きにしてはアメリカ人の精神を理解することはできないと考えました。彼にとって、後千年王国的衝動こそが、アメリカの歴史を動かした原動力と意味を理解するための鍵でした。9
それゆえ、後千年王国思想の他の形態に対する優位性だけではなく、アメリカにおける後千年王国説に大きなバイタリティーを与えた中心点のいくつかに着目することも重要なのです。
第一、アメリカにおいて、その初期の時代から、聖書律法に依存することはクリスチャンの義務であり、神の新しいイスラエルを建設する上で欠くことのできない条件であると考えられていました。神の律法を読むことによって、神的秩序建設のための御計画を知ることが出来ると考えられていました。これはいくつかの問題を引き起こしました。イギリス国王は、聖書律法ではなく、王の定めた法律が、イギリス植民地の基礎となるべきだとはっきりと述べました。さらに、すべての入植者がクリスチャンであったとは限らなかったので、実用主義的な法律を作ろうとする人々から強い圧力がかかりました。聖書律法は、妥協や調整を経た後に、アメリカの法廷の普通法となりました。
ハンキンスは、私たちの理解を妨げている、初期のアメリカの法律に関する二つの誤解について書いています。第一は、「植民地の法律は実質的にイギリスの普通法であった」という広く普及している見解です。第二の誤解は、「イギリスを共通の背景として持つならば、植民地の法律は基本的にどこにおいても同じであった」という仮定です。10
しかし、それぞれの植民地は、その神学的な背景とその土地土地における経験を土台として、独自の法的伝統を発達させました。
法がこのように強調されたという事実は、アメリカの歴史を理解する上で重要です。重要性という点において、十九世紀において、植民地の聖職者の後継者となったのは、法律家たちでした。遅くとも一八六〇年までに、アメリカ人は説教者と法律家の雄弁を強く愛好していました。アメリカにおける弁論の歴史と演説が社会に与えた影響は、研究しなければならないテーマの一つです。この歴史と演説の土台として存在するのは、法の首位性です。つまり、それがどのように理解されていたとしても、神の律法こそ、アメリカ人の生活にとって最も重要な要素であったのです。
アメリカの後千年王国説は「神の新しいイスラエルは法秩序である」という点を強調しました。そして、その努力は神の法秩序の建設に傾けられました。
第二、アメリカの後千年王国説は、今日の英国とは異なり、教会志向ではありませんでした。アメリカ人の生活に対して、キリスト教は非常に大きな影響を与えましたが、教会の影響はそれよりもはるかに劣っていました。このような差は、教会の定義に原因があります。一般に使用されている「教会」という言葉は、新約聖書において「教会」と訳されているギリシャ語とは同じものではありません。英語の church はギリシャ語の形容詞 Kyriakos に由来します。これは、Kyriakon doma と Kyriake oike(つまり、「主の家」という意味)という形で使用されます。これらは、建物または制度を意味します。church と訳されている新約聖書の言葉は ecclesia であり、これは、むしろ「神の御国」を指しています。ecclesia は、本質において、契約の民を表す旧約聖書の言葉 edhah (つまり「会衆」)及び qahal (つまり「集会」)と等しいのです。ecclesia と同様に、edhah や qahal は、契約の民全体、政治秩序、宗教秩序、軍隊等を意味します。新約聖書の church は、礼拝、政治秩序、福祉、教育等、あらゆる側面における神の御国を指しているのです。ローマ・カトリックにせよプロテスタントにせよ、新約聖書の church を「制度的教会」と同一視すると必ず、教会帝国主義(あらゆるものについて支配権を要求する教会)か、そうでなければ、修道院的教会(クリスチャンの唯一の合法的領域は礼拝制度であると考えて、その中へ引きこもってしまう)に陥ります。植民地時代のアメリカにおいて、後千年王国説の普及は教会帝国主義の拡大を抑止する要素となりました。また、それは、「教会は隠遁地または修道院であり、醜い世俗社会から隔絶された場所である」という極めて一般的な考え方(これは、前千年王国説や無千年王国説の土台となる考え方です)と戦いました。
第三、ヨーロッパにおける敬虔主義の働きによって、キリスト教信仰は歴史に対する影響力を失いました。ウィリアム・ガーナルの『完全武装したクリスチャン』のようなネオプラトニズム的著作によって、クリスチャンの戦いの次元は単なる心の内側の問題に引き下げられてしまいました。その結果、クリスチャンは人生の目標を、キリストの御名によって征服することにではなく、心の内側の戦いにおいて勝利することに置くようになりました。敬虔主義の影響は致命的でした。英語圏には、敬虔主義的後千年王国説も若干存在します。これは、神の御国を実現する唯一の方法は魂の救済であり、教会以外にキリスト教的制度は存在しないと主張します。つまり、他の領域を全く無視するのです。しかし、人生のあらゆる領域は、神に仕え、神の栄光を表す責務を負っているのです。国家・学校・家庭・職業・芸術・科学、他のあらゆる事柄はキリスト教的でなければなりません。なぜならば、キリストはあらゆることがらにおいて主だからです。キリスト教信仰はあらゆることがらにおいてキリストの主権を要求するのです。それは単なるオール・オア・ナッシングの問題ではありません。すべてはキリストによって命じられているのです。命令にしたがわなければ、彼によって責められるのです。人間にしても、人生にしても、社会にしても、部分的な救いというものは存在しないのです。キリストはあらゆる事柄に対して所有権を主張され、あらゆる事柄を御自身に返却するように命令されるのです。
それゆえ、後千年王国説は、人間が救われなければならないこと、そして、人間の再生[回心]は、人生と思想のあらゆる領域をキリストの御名によって支配せよとの命令実行のための出発点である、と信じます。古典的後千年王国説は、教会を軽視しません。また、キリスト教的国家や学校のために活動し、王なるキリストの個人・家庭・組織・芸術・科学・その他諸々の事柄に対する主権と王的権利のために働くことを軽視しません。さらに、神は勝利を獲得するための方法をも備えられたと信じています。その方法とは、神の法です。神が語られた言葉はすべて法です。それは人間に対して拘束力があります。異教思想において、恵み・愛・法は互いに矛盾する要素でしかありません。神において、それらは共通の目的のために働き、神の御国を拡大し、栄光を増し加えます。
無千年王国説と前千年王国説は、世界から引き下がり、世界を悪魔に引き渡します。無千年王国説は「世界はますます悪くなる一方である」と考え、前千年王国説は「クリスチャンの希望は携挙である」と考えます。これらの前提によって、クリスチャンは行動への勇気を奪われるのです。ハル・リンゼイの近刊書『最後の世代』を読んだ人の中で、はたして、クリスチャン・スクールの創立・クリスチャンの政治的目標の実現・聖書律法の実行などの神的冒険に乗り出そうと思う人がだれかいるでしょうか。しばらく前に広く読まれていたある本の中で、「イエスは一九七五年九月六日に再臨されるだろう」と預言されていました。著者チャールズ・タイラー博士はそれ以来、内容を改訂してきました。『皆さん、興奮しましょう。イエスはまもなく来られます』の補遺の部分では、新しい日付は一九七六年九月二五日に変わっていました。そして、「これは預言ではなく、実際の可能性を示したものです。」と記されてありました。『エターニティ・マガジン』誌は、この本の論評の中で、前千年王国説に基づく同様の期待を表明しました。しかし、レイモンド・L・コックスは、私たちは、キリストがいつでもやってこられると覚悟しなければならない、と述べました。「私は、たとえイエスが一九七六年九月二四日に来られなかったとしても、九月二五日に来られると期待するつもりだ!クリスチャンは、たとえイエスが九月二三日までに来られなかったとしても、九月二四日に来られることを期待すべきなのだ。それは、真に聖書的な日付決定の態度とは、あの人気のあるバッジの文句『今日?たぶんね』のとおりだからだ。」11
もし私たちが、世界がただ悪くなるばかりであると考えるか、それとも、私たちがまもなくこの世から携挙されるだろうと信じるならば、神の御言葉をこの世界の問題に適用するに際して、いかなる動機が残されているのでしょうか。結果はただ一つです。神の御言葉への信仰を表明している前千年王国説と無千年王国説の信者は、アメリカ国民の二五パーセントを占めているのです。彼らは、アメリカ社会において最も無能な集団でもあります。彼らは、アメリカ人の生活に対して最も影響力の小さい人たちなのです。
主権者にして全能者なる三位一体の神の御言葉を、世界征服の御言葉ではなく、単なる無能の象徴に変えてしまうことは、信仰の印ではありません。それは、冒涜なのです。
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