カルケドン・レポート翻訳




サタンの自己義認


R・J・ラッシュドゥーニー


 サタンは、人々を誘惑して、不品行や姦淫を行わせたり、詐欺、盗みなどの罪を犯させようとしていると一般に考えられています。しかし、堕落した人類は、サタンの誘惑がなくても、こういった罪を易々と犯してしまうのです。ところが、サタンのせいにしてしまえば都合がよいので、人々は「悪魔が私にこのことをさせたのです!」と言うのです。

 ヨハネ8章44節において、イエスは次のように語っておられます。「悪魔は虚偽の父である。彼ははじめから人殺しであり、彼のうちに少しの真理もない。」と。

つまり、この世界の中に死が入ったのは、人間がサタンのウソにだまされたためです(創世記3・5)。サタンは真理を拒むので、その結果、神をも拒んでいます。サタンの最大のウソは、「人間は自分自身の神、法、法制定者になることができる。」ということです(創世記3・5)。

 「あなたは神のようになれる。」とは、サタンのウソの本質でした。すなわち、「自分にとっての神とは、自分自身である。それゆえ、自分は神の法を守る必要もないし、自分で自分が守るべき掟を決定することができる。」というのです。

「神の法を守る必然性はない。」とサタンは囁きます。「だれがどのような価値観を持とうが勝手である。だから、神の法には拘束力はないのだ。」と。

荒野の誘惑において、サタンはイエスに対して3度挑戦します。彼は、「神が制定された正義・法・倫理の体系には欠陥がある。」と言います。第一の誘惑において、サタンは次のように言いました。「これらの石がパンになるように命じなさい。」

世界の食糧問題に関してサタンは次のような疑問をイエスに投げかけたのです。「世界は食糧危機に喘いでいる。このような危急の時に、あなたの神は、こともあろうに倫理がどうしたとか、道徳がどうしたなんてこだわっている。倫理とか道徳なんてどうでもいいから、パンを石に変える奇跡を行って、人々の腹を満たしてあげなさい。そうすれば、あなたは救世主として仰がれるようになるでしょう。」

第二の誘惑は、人の目に明らかな奇跡を行うことによって、信仰を不要にせよ、との誘惑でした。「人生は複雑であり、それゆえ人々に単純な信仰を求めるのは酷である。」とサタンは言います。

第三の誘惑は、サタンの反逆の正当性を認めさせることでした。つまり、サタンの提示する人生や生き方は、神が提示するものよりも優れており、より現実的であることをイエスに認めさせたかったのです。

 これは、ヨブに対する誘惑の中にも現れています。義人ヨブに対するサタンの非難は、次のようなものでした。「ヨブの行いは正しく、それゆえ、神はヨブを祝福しておられる。神は、彼の回りに垣を巡らし、彼を祝福し、守っておられる(ヨブ1・10)。しかし、もし神がヨブを打つならば、彼の誠実がいかに薄っぺらいものであるかが分かるだろう。」

 「万人は、自分にとっての神であり、自分にとっての道徳的掟である。」とサタンは教えます。つまり、神が報酬や刑罰を与えるのではない。天国も地獄もない。人間が自分で決定した「徳」こそが、自分にとっての報酬なのだ、と言うのです。

この意味で、サタンは一流のヒューマニストだと言えます。「人間は自分で自分の法を制定し、それに従って生活してよい。人間は、これ以外のいかなる法にも支配されず、いかなる他者の裁きにも服する必要はない。」と主張します。換言すれば、人間は、自らが法、生命、倫理であり、宇宙なのだ、ということになります。

 こういったサタンの「福音」は、国際的な機関から評価され、それを伝える人々には何かの賞が与えられます。非常に強力な財団から奨学金が出ることもあります。このようにして、サタンの教えは広まるのです。

この教えによって、万人が自分の神になる権利は拡大され、各人はそのような権利を平等に受け取ることになります。これは最強の平等主義です。

サタンの福音は、「犠牲者の教理」が蔓延する現代に合っているのです。現代人は、「万人は、厳格で妥協を許さない神の犠牲者である」と考えています。「神の法は、人と人とを区別し、その福音は、救われる人と救われない人を明確に区別するから、間違っている。」と言います。ジョン・デューイは、『共通の信仰』の中で、キリスト教を反民主主義と断罪しています。キリスト教は、倫理と宗教的確信に基づいて、人を差別するので、民主主義の敵である、と。

 このサタンの教えに毒されている教会は多く、それゆえ、教会の内部において、激しい闘いが繰り広げられているのです。

 サタンの教えは、自己義認の教えです。すなわち、人間は自分で自分の道を決定することができる、とする教えです。義の基準を自分で設定したならば、その基準に従って、各人は例外なく義人となるのです。

この原理を徹底すると、万人は、自分にとって辞書となり、物事を自分の恣意によって定義できるので、いずれあらゆる言葉の定義は変わることになります。そして、互いの間の意思疎通は不可能になり、世界は、まったくコミュニケーションの成り立たない地獄(地獄とは完全に孤独な世界なのです)と化します。各人が各人にとって神であり、宇宙となる世界の行き着く先は、地獄なのです。

 幸いなことに、サタンは現実世界を創造したり、定義することはできません。そのようなことは、神にしかできないのです。それゆえ、人生は天国への前味となります。けっして地獄の前味ではありません。ウソの世界に生きることを望む人は、そのウソと共に滅びます。









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