日本に関する仮説

 

おそらく、旧約時代のディアスポラのユダヤ人は、日本を新しいカナンと見ていたのだろう。

捕囚後、バビロニアを出発したユダヤ十部族は、すでにソロモン王の時代の世界航海の際に発見していた日本列島を目指して東進した。なぜ東を目指したかといえば、日昇は復活を表し、回復を表すからである。新天新地は、東の果てにあるとの確信はユダヤの文化の中にあったのだろう。

十部族は、民族の再出発の地をパレスチナには求めなかった。彼らは、新しい地、平和の住む地、再びバビロニア、アッシリア、エジプトなどの強国に侵されることのない安住の楽園、乳と蜜の流れる緑豊かな新しいエデンを求めたのであろう。

日本列島に着いた彼らは、第2の出エジプトを行った。偶像礼拝をするモンゴル系原住民をカナン人とみたてて、次々と平定していった。平定した先々に彼らは岩を立て、そこを祭壇としてヤーウェを礼拝した。人々が定住すると、その岩のある場所に社を建てた。

ヨーロッパや中央アジアや中国のユダヤ人と同様に、日本のユダヤ人にも、救い主メシアへの待望があった。イエスが誕生したことを示す星のしるしを見た学者たちは、2年の歳月をかけてはるばる祖国パレスチナを訪れ、幼子イエスを礼拝した。

十字架による贖いの成就を伝えるイエスの弟子たちが日本にやってきて、待望するユダヤ人にイエスが復活されたことを伝えた。

初代キリスト教の人々は、神殿崩壊後、すでに新天新地として建国されていた日本を目指して東進した。ここに旧約時代の神道に、天照大神の新約の信仰が追加された。

その後も、世界のユダヤ人の間において、日本が新天新地、理想郷であるという信仰は根強く信じられていた。「黄金の国ジパング」はその証拠である。大航海時代の人々の信仰は、東の果てにある新天新地を目指す運動でもあった。ユダヤ人コロンブスは、西回りでもジパングに達することができると信じていた。

識者の検証をお願いする。

 

 

03/04/12

 

 

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