死後の救い肯定論者は聖書から議論せよ

 

ハーザー誌9月号において、私市元宏氏が死後の救いについて肯定論を述べている。しかし、やはり聖書から議論するのではなく、人間の考えに基づいているため参考にはまるでならない。

「この信仰(死後に救いはない)に従うなら、キリストの福音を知らなかった過去のすべての人類は、地獄に堕ちることになります。過去・現在、そして未来の全人類に比べるなら、新約聖書の信仰にあって、しかもプロテスタントの信じ方で死んだ人の数は、ごくごく微量です。その他の全人類が、とりわけ『キリストを知らなかった』という理由で、地獄に堕ちると考えるならば、日本・中国を含むアジアのほとんどの諸民族、アラブ世界のイスラム教徒、インドのヒンズー教徒など、すべての人が地獄に落ちます。こういうことを信じる宗教は、とてもおかしな宗教だと私は思います。」(7ページ)

たしかに、キリスト教は、「おかしな宗教」なのだ。
なぜならば、キリスト御自身が、「わたしによらないでは、誰も父の御許に行くことはできない。」と言い、救いの道は「狭い道」で、救いの門は「狭い門」であり、「滅びに至る門は広く、そこから入る者は多い」と言っておられるからだ。

キリストを単なる預言者とし、救い主として礼拝しないイスラム教徒は、間違いなく滅びる。聖書は、「イエスを主としない霊は悪霊である。」と述べており、偶像礼拝をする者は悪霊崇拝者だと述べ、さらに、「偶像を礼拝する者は誰も御国に入ることはできない」と明言しているからだ。

このように、死後の救いの教えは、偶像礼拝をするヒンズー教徒やイスラム教徒が救われると公言する偽教師の言説に頼らなければ擁護できない程度のものなのだ。

聖書から議論しようとしない人々をいくら論議に加えても、誌面の浪費である。「キリスト教は、こんなにたくさんの人々が滅ぶことを許す宗教であるはずがない。」というような個人的な見解をいくら聞いても真のクリスチャンは心を動かされない。クリスチャンの心をリバイブするには、聖書から説得することである。

 

 

02/08/07

 

 

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