吉井春人牧師の批判に答える 2
吉井先生
以前も申しあげたように、S師の教会の立場については私も問題を感じております。
それゆえ、もし「再建主義」という名前で批判を出すならば、具体的内容について、聖書から 「個別に」 正当な手続きで反論を書かないと、私の立場にも影響が出てしまうと申しあげたはずです。
実際、Cの機関紙は、私に翻訳文を提示するように要請しておきながら、事前事後の連絡なしに、その掲載を没にしました。
これは、やはり、何等かのマイナスの情報が入ったからとしか考えられません(翻訳文内容に最後まで変更は加えられていません)。
T師の問題を契機として再建主義について長老教会が批判を書くならば、それを書くべきです。批判文として具体的議論をまとめず、反対の意見があるという「感想の段階」で発表するならば、こちらが対応しようにも対応できません。批判文がなければ、単なる「伝聞」の域を出ず、その段階において兄弟姉妹の信仰について批判めいたことを先生が発表するならば、それは「伝聞」という形でクリスチャンの間に流布します。こういった批判は、けっしてクリスチャン的ではなく、先生は、私たちを「冷笑的・攻撃的態度」として非難する態度を自ら取っていることになるのです(私たちは理由を明示して相手の立場について批判を出していますので、けっして「冷笑的・攻撃的態度」ではありません)。
しかも、あらぬ誹謗中傷を流されないためにも、私は、先生には自分が書いたものを毎回すべて送信させていただきました。Millennium 通信の文章はすべて先生のもとに届いているはずです。もし、先生にクリスチャン的誠意があるならば、私の文章を読んだ時点において反論を書いて、私を「戒める」ことはできたはずです。そのようなこちらの側からのアプローチを一切無視して、相変わらず「カルト」呼ばわりする先生の資質には大いに不信を感じます。
次の2つのうちの一つを選択してください。(1)正式に反論を書くか、(2)謝罪文をHP上に掲載するか。
今回のことは、はじめてのことではなく、すでに3回目となっております。これにおいてもなお、HP上において私たちを「カルト」呼ばわりするならば、私は「キリストの権威によって」先生を正式に非クリスチャンとして断罪します。
なお、今回のやりとりは、先生がこちらの立場を公的に表現されているので、こちらも、HP、メールにて公開させていただきます。
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富井兄
私は、富井兄が引用されていない、「S師との3年間に及対話の末」という箇所について、
説明するコンテンツではないと判断しました。
この点、私がSさんたちと、平和的にではありますが、袂を分かつに到った経緯を
説明することは、私のホームページの使命ではないと思いました。
セオノミー神学については、1989年に日本長老教会教育委員会として
S師を講師としてお招きし、教育について語っていただいた時点から
今日まで、彼の意見を危険視する議論が教会内部にあったものの、
特段の委員会がつくられて正式な答申を出すまでに到らなかったことから、
この点については、直接かかわったものとして長老教会は、議論そのものを
「否定も肯定もしない」という立場に留まっていると理解しています。
HPは私個人の責任ですから、ややふみこんだいい方になりました。
ウエストミンスター神学校の有志が出した反論書一つで済ませられるような
課題ではないことは承知しています。
ただ、ホームスクーラーがM教会がおこなっているホームスクーリング研究会
について、ホームスクーラーから私に問い合わせていただく機会が多く、
その場では、個人的にややふみこんだ対話の経過をお話しさせていただきました。
それでも、Q&Aのなかで、触れなければならないと判断しました。
すでに、Mとの交流が始まっていたホームスクーラーとの対話の中で、
実際にセオノミー神学の前提なしにホームスクーリングをおこなっている
ファミリーへの冷笑的態度がみられたということがあります。
交流をもっていたホームスクーラーのなかにSさんとの
交流を契機に、私どもを含めたホームスクーリングの交流の場から一切退いた
ファミリーが2家族あります。
このことでは、心を痛めています。
そして、決定的だったのが、K教会の当時の牧師で現在は、中部で
牧師をしている兄弟からの電話でした。長老教会として正式な反論書をつくらなければ
ならないという議論まではいったものの、残念ながら、今日まで進展していません。
「カルト」という表現はこのときの牧会上のリアリティの中から述べられていた
だけであって、それ自体「公開討論」に馴染むものではありません。
ただ、これまで、きちんとした声明を出せなかったのは、
怠慢だったからかもしれません。
私個人の立場ではなく、長老教会として、正式な声明を出すべきでしたが、
行動をおこさず 延期してきたことが、ここにきてやはり悔やまれます。
長老教会として反論などの公式見解がでる可能性は今のところありませんが、
ただ、その「火種」は残っています。
雑駁な議論をご指摘くださった例の専用のページは削除しましたが、
ホームスクーラーからの質問には「係争中」で回答なしでは済まされないと
判断しましたので、祈りつつ、下記の表現だけに留めました。
ただし、セオノミストとの「公開討論」に参加することは考えていません。
討論ではないので、一方的な宣言のようなものです。
(私はもし、異論や反論があるとすればS師からあるかもしれないと
思っていました。)
ただし、公開討論に参加することは考えていません。
一方的宣言のようなもので、やはり雑駁さは否めませんが、
HPの変更、「謝罪」等については、
いまひとたび祈らせてください。
主の導きを待ちます。
02/06/12