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公的信仰と私的信仰5

 

 

>>今日の近代国家の法律は、「もっぱら社会的な議論に基づいて形成され

>>ている」と考えるのは、相対主義の幻想である。

>これこそ「現に」社会的な議論の中で法律が作られている現実を無視した

>幻想ではないかな。

 

 いえいえ、国家存立のための基本法や基本理念は、どうやったって議論のしようがありません。

 

 だれも自分の主張が正しいことを証明することができないのですから、主観のぶつかりあいになってキリがない。

 

 国家存立の基本理念において議論が不可能なことを示す、「生存権」を巡る議論の例をあげましょう。

 

A,B,C,D,E,Fの会話。

 

A「人間に生存の権利はあるか。」

 

B「俺はあると思うな。」

 

C「いや、人間に生存の権利はないよ。弱肉強食の原理によって進化しているわけだろう。どうして人間に生存権を認めるんだね。強い奴は生き残り、弱い奴は滅びるのが自然の理ではないか。」

 

B「それはいくらなんでも酷いだろう。心情的に賛成できないな。やっぱり社会の構成員の生存を認め合うのがいいんじゃないか。」

 

そこに、Dが現れる。

 

D「私の信じるバモイドオキ様は、知恵遅れの児童の首を切って、校門に飾ることを私に許されたのです。」

 

B「おいおい、そんなことをすればその子の自由を束縛したことになるじゃないか。そんな自分の都合で他人を殺すなんて身勝手だよ。」

 

C「どうしてあなたは他人の自由をそんなに尊重するのか。人間には自由を享受する権利があるとどうしてわかるのか。」

 

B「だって、社会とは多様な価値観を持つ人間の集まりであるから、互いを尊重するのは構成員にとって当然の義務じゃないか。」

 

C「え〜、どうして社会は多様な価値観を持つ人間が共存す『べき』であると考えるのか。共存しなくてもいいじゃないか。自分が気にくわない奴は死んでしまえばいいのだ。」

 

B「おいおい、それは酷いじゃないか。社会においては互いに助け合わなければならないだろう。お互いに食い合っては自分のためにもならんじゃろう。」

 

そこに、ある巨体の宗教家が登場する。

 

E「いや〜、君は生きることが自分にとってよいことだと考えているようだが、君は、早く地上界から天上界に移ったほうがいいのだよ。それ以上悪業を積むのは君の来世にとってよくない。ボクは君をポアするが、それは君のためを思ってのことなのだよ。ポアされることになってよかったね〜。」

 

B「ちょっと待って下さいよ。私はそんな業なんて信じてないですよ。ボクが生きたいと望んでいるのですから、勝手にポアしないでくださいよ。」

 

E「君は、私の好意を無にしようと言うのか。」

 

B「好意じゃないですよ。あなたの勝手な教義を持ち出さないでくださいよ。」

 

E「これは勝手じゃないんだ。私には君の来世が見えるのだよ。このまま君がいき続けて悪業を積み上げれば、来世は絶対に野球選手になれない。」

 

B「ボクは来世なんて信じてないですから。それに野球の選手になんかなりたくもないですし。」

 

E「君は愚かだねえ。最終解脱者の私の忠告を聞かないなんて。」

 

B「あなたこそ愚かですよ。何を夢見てるんですか。」

 

そこにCが割って入る。

 

C「ちょっと待ってくれ。たしかにこのムサクルシイおっさんの言うことがハチャメチャだということは感じるが、それが間違っているとまでは断言できない。君はどういう根拠があって彼の『善意』を拒むことができるのか。」

 

B「そんな、根拠なんてないですよ。だけど常識からしてオカシイじゃないですか。」

 

C「常識って、誰の常識だね。そして、その常識が正しいとどうして言えるかね。

 

来世が本当にあるかもしれないじゃないか。君は来世が存在しないと証明できるのかね。」

 

B「いや、証明はできないですよ。」

 

C「証明できないなら、このおっさんが言うことが本当かもしれないじゃないか。」

 

B「いや、とにかく、ボクは『生きたい』のですよ。来世があるにせよ、ないにせよ、とにかくボクは、現在の生を存続させたい。ボクのことは気にかけないで、放っておいてください。」

 

そこに、Fが現れる。

 

F「い〜や、だめだ。B、おまえの母親はユダヤ人だな。たしかに証拠はあがっているのだ。お前を処刑する。お前がどんなに生きたいと願っても私は絶対に許さない。」

 

B「どうして、ユダヤ人だからという理由で殺されなければならないのですか。そんなの滅茶苦茶ですよ。」

 

F「滅茶苦茶ではない。ユダヤ人が絶滅すれば、世界の大多数の人々が幸福と安全を享受できるのだから。」

 

B「大多数がよければ、少数派は抹殺されてもいいのですか。」

 

F「そうだ。おまえたちが生きているために、世界は大変な災厄を被っている。おまえたちは世界の癌だ。癌は切除するのに限る。」

 

B「そんなの酷い誤解ですよ・・・。」

 

F「うるさい。」

 

銃声が鳴り響く。

 

B「あ〜っ。」

 

 

 「生存権」は、「だれでも首肯できる自明の理」ではないのです。

 

 だから、結局、「人間には生存権があるのだ」という形而上学的断定を勝手に下す以外に選択はない。議論しても無駄なのです。

 

 

 




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