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 公的信仰と私的信仰6

 

>「自らのみの“定説”」だけを通用させるためには、

>( 1)その“定説”だけが通用する閉鎖空間に閉じこもる

>( 2)その“定説”以外の“異説”をつぶして“定説”だけにする

>( 3)他の“定説”の存在を許容しつつ、自らの“定説”とが共存できる

>  妥協点を見つける

>という三つの途しかないでしょう(他にあったら教えて?)

>( 1)はコミューンでしかないわけでしょう。

>多分、「宗教」や「主義」とは「定説の主張」です。

>そして、現代民主主義とは、( 3)しかないでしょう。

>その中で( 2)を目指す人たち、宗教ファンダメンタリスト、「日の丸や

>君が代を尊ばないひとは非国民」と言う人々に高橋氏を「笑う」資格が

>あるでしょうか?

 

 ん〜、典型的な「戦後民主主義のナルチシズム」ですねえ。

 権力についての基本的な誤解がある。

 

 「俺は宗教的ファンダメンタリストとは異なり、寛容な好々爺じゃ〜。」と錯覚しているわけだね。

 

 現代民主主義とは、(3)であるとどうして言えるのでしょうかね。

 

 法律に強制権があるというのは、結局(2)以外にはないということでしょう。

 

 もちろん、高橋氏の「定説」を検討して、(3)のふりをするかもしれないが、現在の医学界の意見を「定説」とする立場をとっている以上、シロウトの高橋氏が何を言っても、一顧だにしないだろう。

 

 それから、今回の事件で警察がライフスペースから事情聴取し、さらには法的制裁を加えることになるだろうが、結局、「現代民主主義」は、(1)を絶対に許さない。

 

 日本国内において、コンミューンを作り、異なる「定説」を実践する集団を日本国は許さない。

 

 S氏といいR氏といい、自分の立場をあまりにも美化しすぎていませんか?

 

 無理矢理相手を押さえ込むことをせずにどうやって国家を成立させられるというのですか。

 

 現代民主主義があたかも「開放的」であるとあなたがたが錯覚しているのは、その基本法が、社会の大多数の人々が疑うことをしないほど「理に適ったもの」であり、「当然」と受け取れるほど優れたものだからでしょう。

 

 これが、あなたが毛嫌いしている「宗教ファンダメンタリスト」の手によって作られたということを知って、どのような反応をするか見てみたいものだ。

 

 歴史はあなたが考えている程単純じゃない。

 

 

 




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