人間の側からの手立てを尽くしたら、あとは・・・
ありもしないことで悪口雑言を言われるとき、あなたがたは幸いです。
とイエスは言われたが、ここまで「ありもしないこと」のオンパレードだと閉口します。
しかも、このような罪を見ても、現代のクリスチャンはそれについて誰も非難しようとしない。
自らのうちから悪を除こうとする熱意がまったくない。
これって、やっぱり「心理学」なんですよ。
つまり、現代のキリスト教というのは、「人間の心が平安で、幸せであればいいじゃないか」というものなんですね。
神が何を喜ばれるか、という意識よりも、人間が何を喜ぶか、という意識が常に優先している。
だから「神に喜ばれる健全な群れを作る」というような配慮は二の次なのです。
この「心理学」ムーブメントは次の2つの特徴があります。
(1)群れの中の悪を放置する。
(2)分裂が起こるので、宗教論議はしない。
宗教論議を嫌い、神学論争を古今の宗教戦争と同一レベルにおいて、「争い」一般というカテゴリーに押し込め、その実態のない「争い」そのものを高みから冷ややかに評論する。
これって、
『笛を吹いてやっても、君たちは踊らなかった。弔いの歌を歌ってやっても、悲しまなかった。(マタイ11・17)
なんですよ。
暖簾に腕押し、まったく手ごたえがない。
真理のためにがんばるなんてのは、時代遅れとでも言うようなムードで、この自己中心的、人間主義的キリスト教(キリスト教ではないんですが)は、イエスの時代の形骸化した旧約宗教と同じレベルなんです。
相当堕落している。
そして、この堕落の潮流に逆らい少しでも上に上ろうとする人には四方八方から攻撃がある。
*ラッシュドゥーニーが述べたように、すべてを自分で処理しようとするのは、神の働く余地を残さない傲慢な態度だと思うので、すべてを主にゆだねましょう。
「あることないこと」を言って相手を貶めるという卑劣なやり方は、背後にサタンがいるからにほかなりません。
03/04/18