霊の見分けを!

 

聖書は、「神の御国は、『いつも』神とサタンの両方が働いて進展するものである」と述べています。
つまり、福音が説かれると、すぐにサタンがやってきて次のことをします。

(1)福音を奪い取る。道端に落ちた種を拾っていく鳥が現れます。
(2)紛らわしいものを混入する。良い麦の中に毒麦の種をまく。
(3)生え出した芽を覆うようなイバラやアザミを生やす。快楽や目を御国からそらせる関心事を持ち込む。
(4)芽が育たないように、厳しい日照りを送る。厳しい経済生活や、対人関係の摩擦、社会的失敗、病気など試練などでへこたれるようにする。

このため、良い運動であっても、それに属しているからと言うだけで、すべての指導者、メッセージ、行いを信頼してよいということは、「絶対に」ならない。

このため、「霊の見分け」ということが大切になるのですが、その方法は、聖書にきちんと記されています。

(1)その霊が人として生まれたイエスを主と告白しているか。
(2)その人のメッセージが聖書と合致しているか。言い過ぎや、欠落がないか。
(3)そのメッセージを説いている人の個人的な生活が、無律法的でないか。
(4)そのメッセージによって、人々の間に神様への愛と、御国のために積極的に働く信仰が生まれているかどうか。

こういったチェック項目を見たときに、

キャサリン・クールマン、ベニー・ヒン、フレーソンには、疑問符をつけざるを得ません。

トロント・ブレッシングについては、ローマ・カトリックと同様に、「福音が説かれるところに救いもある」と認めることができますが、サタンもそこに様々なタネをばら撒いていると警戒する必要もあると思います。

少なくとも、あのビデオを見る限りにおいて、サタンの要素が「混入している」と判断せざるを得ません。

私は、預言を完全否定するつもりはありませんが、なにしろ、現代の「預言者」「神癒師」と呼ばれる人々は、聖書から逸脱して、聖書が述べていないことを主張したり、聖書が強調していることからずれたことを盛んに唱えることが多すぎると感じています。

まず、聖書から発して、聖書に帰る、という原則を守りたいと思います。

そのためには、聖書研究が欠かせないのです。

その運動が、聖書教理に対する関心に向かうのでなければ、その運動には疑問符をつける必要があると感じています。

カリスマ・ペンテコステ派は、アメリカで最も再建主義に熱心なグループの一つになっています。

二極分化が進んでいるとも聞きます。

カリスマ・ペンテコステ派は、聖書に記された「勝利」「預言」「神癒」などを回復したという大きな功績があるので、御言葉に則するという原則から離れなければ、大きな祝福を受けられると思いますが、単なる「ショー」のようなもの、人々に奇跡を見せつけるもの、それをビジネスにしているもの、有名になろうとして行われるもの、には要注意ではないでしょうか。

 

 

03/01/27

 

 

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