水の上を歩いたペテロ
次はペテロが信仰によって水の上を歩いたという記事です。
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イエスは、群衆を帰したあとで、祈るために、ひとりで山に登られた。夕方になったが、まだそこに、ひとりでおられた。
しかし、舟は、陸からもう何キロメートルも離れていたが、風が向かい風なので、波に悩まされていた。
すると、夜中の三時ごろ、イエスは湖の上を歩いて、彼らのところに行かれた。
弟子たちは、イエスが湖の上を歩いておられるのを見て、「あれは幽霊だ。」と言って、おびえてしまい、恐ろしさのあまり、叫び声を上げた。
しかし、イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」と言われた。
すると、ペテロが答えて言った。「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください。」
イエスは「来なさい。」と言われた。そこで、ペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスのほうに行った。
ところが、風を見て、こわくなり、沈みかけたので叫び出し、「主よ。助けてください。」と言った。
そこで、イエスはすぐに手を伸ばして、彼をつかんで言われた。「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」
そして、ふたりが舟に乗り移ると、風がやんだ。
そこで、舟の中にいた者たちは、イエスを拝んで、「確かにあなたは神の子です。」と言った。
彼らは湖を渡ってゲネサレの地に着いた。 (マタイ14・24-34)
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最初信仰をもって確信の中にあったペテロは水の上を歩く奇跡を体験できました。しかし、風を見て怖くなり、信仰から離れてしまいました。
この話は、疑いや恐れは、クリスチャンをただの人間に変えてしまうという教訓を教えてくれます。
「信仰、信仰といっても、現実は違う。」という意見はサタンの罠です。
信仰をもち疑わない人は奇跡を体験し、サタンの攻撃から守られますが、疑いとか恐れを持つと、サタンはその信仰のほころびをめがけて火矢を放ってきます。その火は、クリスチャンの心の中において燃え盛り、心は動転し、右も左も分からなくなります。
信仰を持たないクリスチャンはただの平凡な人であり、主に奇跡を求めることはできません。
疑わない信仰は、クリスチャンに超自然的な体験をさせてくれます。
志の堅固な者を、あなたは全き平安のうちに守られます。その人があなたに信頼しているからです。 (イザヤ26: 3)
02/06/20