世界回復のヴィジョン

 

1990年代からディスペンセーショナリズムの中心神学校は「文化建設」に方向転換をしているので、その影響はそろそろ日本においても現われる頃ではないでしょうか。ディスペンセーショナリズムそのものが再建主義になれば、もはや我々は再建主義と名乗る必要はないわけです。すべてのキリスト教の教派が再建を目指すようになるからです。

私の個人的な感覚では、これからの千年紀は、福音の圧倒的な影響が全世界に及ぶ時代と思います。どの国に行っても、政治・経済・法律・教育・・・あらゆる分野が神を中心として営まれ、「もはや主を知れ」といわなくなるほどに、社会制度すべてが聖書の神を中心として営まれるようになるというヴィジョンが与えられています。

もちろん、これは、聖書の預言でもありますから、成就するのは歴史的必然です。

主キリストが天の王として君臨されてから数えて2番目の千年紀の終わり(つまり、19〜20世紀)は、神がサタンの覇権を許容された時期でした。
ヒューマニズムが実を結ぶ時期として定められていたような気がします。

帝国主義戦争、科学・技術・思想・教育・文化の世俗化、無神論的政権の支配(ソ連、中国、北朝鮮、東欧諸国、ベトナムなど)・・・。

こういったヒューマニズムが目指した神抜きのユートピアは、地獄であるということが明らかになりました。

このサタンの活動を許したのは、教会のプレ・ミレ化も大きな原因でした。ちょうどヒューマニズムの覇権がはじまったのと時を同じくして、教会の中にプレ・ミレがはびこり、サタンとの対決が回避され、地上におけるキリストの覇権拡大への意欲低下が起こりました。

教会はゲットー化し、誤った「政教分離」が唱導されました。

教育権は、国家に略奪され、クリスチャンは、自分の子どもを信仰に立って教育できなくなりました。

しかし、神は、この閉塞状況において、新しい運動を開始されました。

それは、聖書にのみ立つ純粋に神中心的なキリスト教でした。

恐らく、これから幾つかのサタンの最期のあがきが見られるでしょうが、その最期のあがきの後に、神は聖霊の偉大なる傾注を行われるでしょう。

クリスチャンの増加と、首尾一貫した献身したクリスチャンの積極的な活動によって、社会の様々な側面が次々とキリストの側に立つようになるでしょう。

このような偉大な進展の準備はすでに1980年代から進んでいます。ヴァン・ティルの前提主義に基づいて、R・J・ラッシュドゥーニーによる諸学問の基礎的原理作りと、ゲイリー・ノースによる諸学問への基礎的適用がその端緒でした。

この2人に続く人々が、これから諸学問にヴァン・ティルの前提主義、ラッシュドゥーニー・バーンセンのセオノミーを適用していくでしょう。

世界には、2つのまったく異なる前提に立つ学派――人間を万物の尺度とするヒューマニズム学問と神を万物の尺度とする聖書的学問――が生まれるでしょう。

マルクス主義が学界において勢いを失ったのと同様に、ヒューマニズム学問も同じ運命をたどるでしょう。

ヒューマニズムの学校は荒れ放題に荒れて、自滅し、父兄はクリスチャンの学校に子弟を入れようとするため、クリスチャンの学校に人が溢れ、ヒューマニズムの学校は次々と閉鎖されるでしょう。クリスチャンスクールにおいて、子どもたちは聖書的教育によって大きな影響を受けるようになるでしょう。

この子どもたちが社会に出て行くことにより、社会に聖書的原理が適用され、諸制度が次々とキリスト中心に変わっていくでしょう。

もはや、私たちが今唱えている様々な教えは、少数派、アウトローではなくなり、主流派となり、常識化するでしょう。

だれも、世界のあらゆる領域におけるキリストの主権を疑う者はいなくなるでしょう。

今、教会の中においてノンクリスチャンがそうであるように、社会の中において、ノンクリスチャンは肩身の狭い思いをすることになるでしょう。

世界から戦争がなくなり、恒久的な平和が実現するでしょう。

諸国民が聖書を尊ぶようになるので、祝福が増し、それとともに生産力が増し、次第に貧困が消えるでしょう。

恐らく、この千年紀が終わるころに、世界の全域が完全にキリストによって征服され、世界は、キリストをお迎えするのにふさわしい状態に変わっているでしょう。

この地球は神によって創造されたのですから、神の栄光を表す状態に変わるはずです。

終わりの日に、キリストをかしらとする人類は、「地を従えよ」との命令を成就し、「御心が天で行われるように地上でも行われるように」との祈りは応えられるでしょう。

 

 

03/03/07

 

 

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