世界のリーダーになりたいなら、まず仕える者、模範になれ
神は、国と時代と住居の境界を定めた、と御言葉にある。
「神は、ひとりの人からすべての国の人々を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました。」(使徒17・26)
我々の時間的環境も、空間的環境も、すべて、神の権威によって定められたものであると言われている。
「国の人々」の「住まいの境界」は、「神」が「定め」たものだ。
神はイスラエルの各部族の「地境」を決定された。それゆえ、その地境を移すことは禁止されていた。
「あなたの神、主があなたに与えて所有させようとしておられる地のうち、あなたの受け継ぐ相続地で、あなたは、先代の人々の定めた隣人との地境を移してはならない。」(申命記19・14)
「『隣人の地境を移す者はのろわれる。』民はみな、アーメンと言いなさい。」(申命記27・17)
神は全地の所有者であり、それゆえ、土地に誰を住まわせるかを決定されるのは、究極的に神である、ということがここから分かる。
神の許可なく「地境を移すこと」は、「侵略」「略奪」である。
それゆえ、ある国が、神の許可なく、他国に対して攻撃をしかけて領土を侵すならば、それは侵略である。
それでは、神の許可があるかないかをどのようにして判断できるのか。
これは、土地の究極的所有者は誰かという問題を考えるときに明らかになる。
聖書は、「全地は、主のものである」と述べている。
「地・・・は主のものだ。 」(詩篇24・1)
それゆえ、地において誰を住まわせるかを決定する権威はすべて神にある。
だから、神の御心に適合できない人間は、その地に住むことができない。
カナン人がパレスチナから追い出されたのは、悪を行ったからである。
イスラエル人がパレスチナから追い出されて、捕囚にあったのは、悪を行ったからである。
悪を行う者は、土地から追い出される。
神の法秩序に著しく違反する人間は、土地を所有することができない。
それゆえ、フセインや金正日のような悪人が国を治め、土地を所有する権利はない。
それでは、我々は、これらの悪人を処罰し、その国に攻撃をしかけて国土を解放することがどのような場合でもできるか、というとそうではない。
聖書は、「手続きがある」と述べている。
イエスの時代に、パレスチナの土地は、ローマ帝国に握られていた。
それに対して、ユダヤ人は反感を抱き、革命運動、独立運動を行っていた。
しかし、イエスは、「悪者に手向かうな」と戒められた。
サウルは悪の王であったが、ダビデはサウルを殺して革命を起こそうとはしなかった。
「私は油注がれた人に手をかけることはできない」と言って、権威を尊重した。
聖書は、一貫して「神の時が来るまで忍耐することを説いている」。
この点は重要であるからクリスチャンは常に心にとめておく必要がある。
すなわち、「どんなに理論的に言えば、廃位させられるべきであると思われる王であっても、神の時が来ない限り、その王に手を出してはならない。」ということである。
モーセの軍隊は、モーセが神のお告げを受けて、進軍の指令が出るまで待たなければならなかった。
神の進軍命令がないにもかかわらず、飛び出していった人々は、敗走しなければならなかった。(ヨシュア7章)
悪い王であっても、その王に排除の決定を下すのは、神ご自身である。
ここに、律法という「一般的命令」と、個別指令という「特殊命令」を調和させなければならないことが教えられている。
聖書は、律法という一般原則を述べていると同時に、個別指令という「特殊原則」をも述べている。
「カナン人を追い出せ」という一般原則があるからと言って、性急に飛び出してアイの人々と交戦しようとしたイスラエル軍は敗走した。神がともにおられなかったからである。
神がともにおれらない企ては失敗する。
イラク侵攻において、私は、神の許可が下りているとは思わない。
祈りを尽くして、神の時を待つという姿勢が、ブッシュには見られない。
その証拠は、世界の人々が、この戦争の大義に疑問を抱いていることにある。湾岸戦争の時には、(非常に胡散臭いものであったが)大義があった。イラクは現実にクウェートに侵攻したからである。
現在の状況は、「すべての人々が良いと思うことを図れ」という御言葉と矛盾している。
ネオコンの人々の見解は、「王権神授説」と似ている。「アメリカにはいかなる協定、協約をも超越して行動する権威が与えられている」とでも言うものであり、彼らが唱え、広めようとしている「法治国家」「民主主義」の原理と矛盾している。このような超法規的行動を取るものが、「法治国家」など作れるはずがない。
一般原則を盾に、個別行動において、神の時と合法性を無視するならば、それは、「傲慢」な態度であり、神はそのような行動をお認めにならない。
神が行動を許可する時は、万人が認める時である。
もちろん、文字通りの万人が認めなければ行動できないということではない。しかし、我々は祈って待つときに、コモンセンスを持つ人々が認めることのできる「ふさわしい」時というものが見つかるものだ。
ブッシュ政権の宗教は、プロテスタント・ファンダメンタリズムではなく、「時期尚早」と「非合理」を「腕力」で押し切ろうとする「パワー宗教」であり、「無律法主義」である。
このような宗教が世界を支配するならば、恐ろしい世界が現出する。
腕力を武器に、他国を脅かし、自分の唱える身勝手な主義主張を実現するために、国際的決まりを無視して行動するのは、独裁国家である。
世界のリーダーとなれるのは、自ら模範を示すことができる者である。
自ら決まりを無視する者が、他国に「決まりを守れ」という権利はない。
「イエスはおすわりになり、十二弟子を呼んで、言われた。『だれでも人の先に立ちたいと思うなら、みなのしんがりとなり、みなに仕える者となりなさい。』」(マルコ9・35)
今のアメリカはリーダーとして失格者であり、ただちにイラク侵攻を止め、ブッシュは責任を取って辞職すべきである。
03/03/27