聖霊のないキリスト教は砂漠化の宗教である
聖霊の働きがなければ、私たちは何も行えません。
「あなたがたはどこまで道理がわからないのですか。御霊で始まったあなたがたが、いま肉によって完成されるというのですか。」(ガラテヤ3・3)
聖霊の働きがないというならば、肉によって完成しなければならないと言っているのと同じです。
今日多くのクリスチャンが誤解していますが、あらゆる事柄、問題は、御霊によって完成されなければならないのです。
病気を純粋に医学的、物理・化学・生物学・心理学的に解決しようとするのは、間違いです。
これは、教育についても言えます。教育を純粋に教育学的に解決し、生徒を霊的に扱うことができなければ、それは、「サタンの業」になってしまうのです。
サタンは、「御霊が働かなくてもよい領域」を作ろうとしているからです。
イエスは、天に昇ることにこだわられました。それは、御霊が下らないからです。
「わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。それは、もしわたしが去って行かなければ、助け主があなたがたのところに来ないからです。しかし、もし行けば、わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします。 」(ヨハネ16・7)
つまり、肉体を取ってこられたイエスが身近にいることよりも、聖霊が私たちの間におられるほうが私たちにとって「益」だというのです。
聖霊が、あらゆる事柄において、私たちを助けてくださるという状況が、神の御心であり、それゆえ、私たちはすべてが聖霊によって完成することを求めるべきです。
エデンには一つの源があり、その下にある園全体を潤していました。そして、エデンの園から流れ出る水は、四つの川となり、全地を潤していました。川は、聖霊をあらわしています。
エゼキエルの神殿から流れ出た川はついには渡ることができないほどの大河となりました(エゼキエル47章)。
新約時代において、クリスチャンの体が神殿であり、クリスチャンの腹から生ける水の川が流れ出るようになると言われています。
「わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底(原語では「腹」)から、生ける水の川が流れ出るようになる。」(ヨハネ7・38)
川は大地をよみがえらせ、生物に命を与えます。
神の御心は、世界全体がエデンの園のように潤うことであり、すべての人がその恩恵に浴することです。
クリスチャンの体はエデンの園であり、そこから出る聖霊の流れが、世界全土を祝福することが神の御心なのです。
あらゆる領域において、クリスチャンが中心になるならば、クリスチャンから出る祝福の川はその領域を潤します。
ノンクリスチャンには源がないので、ノンクリスチャンが政治や教育を行うならば、そこから砂漠が広がります。けっして、理想の世界は生まれません。
聖霊の働きを説かないキリスト教とは、エデンの園のないキリスト教と同じであり、砂漠化の宗教です。
03/03/14