死後の救いについて 4 by starman氏

 

4.結論

(1)死後に救いのチャンスはあるか?

これまで見てきたように、私たちが手にしている聖書の中からは、「死後にも救いのチャンスがある」と、明確に断言できるほどの材料は得られません。可能性があるとして引用されるいくつかの箇所(第1ペテロ3:18〜4:6、ピリピ2:10、エペソ4:8〜10、黙示録5:13)ですら、死後にも救いがある。あるいは死後福音を聞いて救われるとは“ハッキリ”書かれていないのです。
また、第1ペテロ3:18〜4:6の解釈については諸説ありますが、死後に救いのチャンスがあるという観点からの解釈が最も有効とはいえません。むしろ、聖書全体は死後にも救いのチャンスがあるということついて否定的です。なぜならば、聖書全体は生きている間の行いに応じてさばきがあり、報いがあると繰り返し述べているからです。さらには、「不義な者どもはさばきの日まで懲罰のもとに置かれる」とありますし、「神は死人のためにわざは行わない」とも書いてあるのです。

◆第2ペテロ2:9
「主は、敬虔な者たちを誘惑から救い出し、不義な者どもを、さばきの日まで、懲罰のもとに置く*ことを心得ておられるのです。」

*新聖書注解によると、<置く>(ギ:テーレオー)というのは、「閉じ込める」と同じことばで、「守る」とか「保つ」という意味。すなわち、神の戒めを守らない者を、神がさばきの下に「保つ」ということであり、神の御怒りの中で最後まで保たれることを言っています。

◆詩篇88:10〜12
あなたは死人のために奇しいわざを行なわれるでしょうか。亡霊が起き上がって、あなたをほめたたえるでしょうか。セラ
あなたの恵みが墓の中で宣べられましょうか、あなたの真実が滅びの中で。
あなたの奇しいわざが、やみの中で知られるでしょうか、あなたの義が忘却の地で。


(2)すでに死んだ者について

救いはとても重要な問題であり、私たちの肉親が天国へ行ったか否かは誰しも感心のあることです。しかし、聖書には死後のことについて詳細に書かれていないためわからないことも多く、死んだ人間のうち誰が救われて誰が救われなかったかということは神様以外には知り得ません。肉親を失って悲しんでいる人に対し、慰めのつもりから死後にも救いがあると言ってみたところで、実際に救われているか否かはわからないのです。未信者からキリストを信じないで死んだ両親はどこへ行きましたか?と聞かれて、地獄へ行ったなどとはとうてい言えない。だから、死後にも救いのチャンスあるという説を受け入れるというのなら本末転倒です。前述の通り、聖書がハッキリと述べていない事柄についてはわからないのですから、明確に信仰生活をおくっていた方以外の人を指して、天国へ行きましたとも地獄へ行きましたとも言えないのです。私たちには神に代わって救いの判決を下す権威はないのですから、そのように言うことはできません。また言う必要もないことです。そのような言明は唯一の主権者である神に対して傲慢な態度だと言わざるを得ません。


(3)神の正義とさばき

死後にも救いがあるという解釈は、イエス様は愛のお方であるから、「人が地獄で苦しむのを良しとされない。イエス様の大きな愛は生きている間に救い主キリストを受け入れなかった者まで救うはずだ」という、神様の“愛”の一面だけを強調しているように思います。
もちろん神の愛は計り知れない程大きいものであり、これは真理です。しかし、神はどこまでも聖く、正しく、正義なるお方でもあります。罪は徹底して嫌われ、また、罪を看過されることはありません。この聖なる御性質のゆえに、神は私たちが罪を犯した場合、そのままでは受け入れることは出来ないのです。しかし、神はその愛のゆえに私たちを救うため、罪のないイエス・キリストを私たちの身代わりとして罰しました。父なる神様は御子イエス・キリストを厳しく罰せられたのです。神の聖なる御性質は罪を犯した人間に手心を加えるようなことをせず厳しく罰します。可哀想そうだから勘弁してやろうか、などということが入り込む余地はありません。(マタイ21:33〜) もし、そこに酌量が入り込むなら、究極的にはキリストの十字架すら必要なかったということになります。
神様のさばきは正しいと信じるなら、その大きな愛ゆえにキリストを信じ受け入れる者は確実に救うが、キリストを受け入れない者はその正義のゆえに確実に滅ぼすということも信じられるはずです。また、生きている間にキリストを信ぜず、受け入れなかった者を滅ぼしたとしても、神様の御性質に反することは一切ありません。さらには、神様が私たちをそのように取り扱ったとしても、何ら不義なことはないのです。なぜならば、神様は唯一無二の主権者だからです。主権者として振る舞う神様に対して異議を唱えられるほど私たちは清くないことを銘記しなければなりません。
私たちが救われたのはあくまでも「恵み」なのです。(ローマ3:24、エペソ2:5、8)


(4)むすび

●神の御心を示すものとして私たちに与えられているのは聖書ですから、聖書に書かれていないことまで断言するのは留保すべきです。死後にも救いがあると主張する人は、「聖書に書かれていないことを言うべきではないと」する姿勢を「字句にとらわれた狭い聖書解釈の方法であって、聖書に忠実であろうとして、かえって神のメッセージを見失っている。」 とか、死後に救いのチャンスはないという考えは了見が狭いと言います。確かに文脈を無視して字句にとらわれると正しい解釈は出来なくなりますが、逆に字句にとらわれないで柔軟に解釈しようとする場合も文脈を無視した解釈をしてしまう危険があります。聖書解釈においては、聖書以上でもなく聖書以下でもない、聖書全体と調和する解釈が出来なければ正しい説とはいえないでしょう。

●死後にも救いがあるか否かということについて、聖書はどちらもハッキリとは記されていません。しかしながら、これまで見てきたように、死後にも救いのチャンスがあると断言するには、聖書はあまりにも否定的であるといわざるを得ません。死後にも救いがあるとするならば、聖書全体を死後にも救いがあるという前提から無理なく説明できなければなりませんが、現時点では十分に説明がついているとは言い難い。もし、断言できるほどの説明がなされていたならば、二千年にわたるキリスト教の歴史の中でスタンダードな聖書解釈になっていたはずです。

●死後の世界について、私たちは聖書以外に知りうる術は持ってはいません。その聖書から得られる情報は本当にわずかしかないのです。したがって、死後のことを語るにあたっては、より注意深くあらねばなりません。不確実なことに期待するあまり神のことばである聖書を拡大したりせず、忠実な良い僕として分をわきまえて聖書を理解し、御心を知り、主のわざに励まなくてはならないと思います。

●また、聖書解釈にあたっては、有名な牧師先生が言っているから私は信じるというのなら、それはもはやキリスト教とはいえません。聖書の解釈について、自分はこう思うという場合、何故そう思うのかということについて、また反対意見に対して、聖書から論証出来なければ単なる自分の思いにすぎないのです。聖霊によって聖書理解が示される場合もありますが、この場合でも聖書と矛盾することはありえないのです。なぜなら、聖霊が聖書を書いたのですから。聖書を読むときには、自分の考えや希望を優先させるのではなく、あくまでも聖書を優先しなければなりません。たとえ聖書が自分にとって気に入らないことを言っていたとしても、へりくだって受け入れなければならないのです。そうでないと、どのような解釈も成り立つことになり、聖書は普遍的真理を示すものではなく、相対的な価値基準しか持たないものになってしまいます。使徒の働き17:11によると、ベレヤのユダヤ人たちは、使徒の言うことが本当に正しいかどうか毎日聖書を調べたとあります。これは現代の我々のあるべき姿です。牧師から聞いたことを鵜呑みにしてはならないのです。もちろん、素直に聞く耳は持ってなければなりませんが、私たちの側でも聖書をよく読み、疑問点は調べたり、質問するなどして、聖書理解を深めていく責任があります。

◆使徒17:10〜11
兄弟たちは、すぐさま、夜のうちにパウロとシラスをベレヤへ送り出した。ふたりはそこに着くと、ユダヤ人の会堂にはいって行った。ここのユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで、非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。



●最後にもう一度書きます。

それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイ28:19,20)

私たちのつとめは、今生きている間になされなければなりません。
だれも働くことができない夜が来たあとのことについては、私たちに知らされていないのですから。

◆ヨハネ9:4,5
わたしたちは、わたしを遣わした方のわざを、昼の間に行なわなければなりません。だれも働くことのできない夜が来ます。


●追記
蓋を開けてみたら死後にも救いがあったということになるかも知れません。もし、そうなったとしたら、何故神様は死後にも救いのチャンスを与えたのか?ということについて私たちにはわかりませんが、神様がなされることは常に正しいのですから、人間が存在する目的や神様の御性質に反しない確かな理由があると信じます。

 

 

02/06/11

 

 

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