置換神学

 

>ロマ11章は過去のこと、黙示録はユダヤ人の裁き
>だとの説もあります

黙示録がユダヤ人の裁きである、とプレテリストがいうのは、ユダヤ民族全般を非難しているからではなく、聖書自身が、「旧約時代のユダヤ人」が罪を犯し、それに対して裁きが下ったと述べているからです。(*)

見よ、彼が、雲に乗って来られる。すべての目、ことに彼を突き刺した者たちが、彼を見る。地上の諸族はみな、彼のゆえに嘆く。しかり。アーメン。(黙示録1・7)

ここで、「地上の諸族」の「諸族」は、φυλαιという言葉が使われていますが、これは、「イスラエルの12部族」を意味する言葉です(Thayer’s Greek-English Lexicon of the NT)。

しかも、黙示録の裁きは、ユダヤ人だけではなく、異邦人に対するものでもあります。

「突き刺した者」とは、明らかに、ローマ兵士がイエスのわき腹を槍で刺したことを意味しています。

しかし、兵士のうちのひとりがイエスのわき腹を槍で突き刺した。すると、ただちに血と水が出て来た。(ヨハネ19・34)



(*)
キリストは、はっきりと、旧約時代のユダヤ人は、主人(神)が使わしたしもべ(預言者)を殺し、ついにはあと取り(キリスト)自身も殺した農夫たち(ユダヤ人)のようであると述べています。

もう一つのたとえを聞きなさい。ひとりの、家の主人がいた。彼はぶどう園を造って、垣を巡らし、その中に酒ぶねを掘り、やぐらを建て、それを農夫たちに貸して、旅に出かけた。
さて、収穫の時が近づいたので、主人は自分の分を受け取ろうとして、農夫たちのところへしもべたちを遣わした。
すると、農夫たちは、そのしもべたちをつかまえて、ひとりは袋だたきにし、もうひとりは殺し、もうひとりは石で打った。
そこでもう一度、前よりももっと多くの別のしもべたちを遣わしたが、やはり同じような扱いをした。
しかし、そのあと、その主人は、『私の息子なら、敬ってくれるだろう。』と言って、息子を遣わした。
すると、農夫たちは、その子を見て、こう話し合った。『あれはあと取りだ。さあ、あれを殺して、あれのものになるはずの財産を手に入れようではないか。』
そして、彼をつかまえて、ぶどう園の外に追い出して殺してしまった。
このばあい、ぶどう園の主人が帰って来たら、その農夫たちをどうするでしょう。」
彼らはイエスに言った。「その悪党どもを情け容赦なく殺して、そのぶどう園を、季節にはきちんと収穫を納める別の農夫たちに貸すに違いありません。」
イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、次の聖書のことばを読んだことがないのですか。『家を建てる者たちの見捨てた石。それが礎の石になった。これは主のなさったことだ。私たちの目には、不思議なことである。』
だから、わたしはあなたがたに言います。神の国はあなたがたから取り去られ、神の国の実を結ぶ国民に与えられます。(マタイ21・33-43)

これに続くマタイ23章では、旧約時代のユダヤ人に対して、何度も悔い改めを迫ったが、聞こうとしないので、ついに裁きが下るとキリストは宣言されました。

おまえたち蛇ども、まむしのすえども。おまえたちは、ゲヘナの刑罰をどうしてのがれることができよう。
だから、わたしが預言者、知者、律法学者たちを遣わすと、おまえたちはそのうちのある者を殺し、十字架につけ、またある者を会堂でむち打ち、町から町へと迫害して行くのです。
それは、義人アベルの血からこのかた、神殿と祭壇との間で殺されたバラキヤの子ザカリヤの血に至るまで、地上で流されるすべての正しい血の報復があなたがたの上に来るためです。
まことに、あなたがたに告げます。これらの報いはみな、この時代の上に来ます。
ああ、エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者。わたしは、めんどりがひなを翼の下に集めるように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。
見なさい。あなたがたの家は荒れ果てたままに残される。
あなたがたに告げます。『祝福あれ。主の御名によって来られる方に。』とあなたがたが言うときまで、あなたがたは今後決してわたしを見ることはありません。」 (マタイ23・33-39)

そして、この裁きは下り、旧約時代の宗教生活の中心、ユダヤ民族の精神的支柱であった神殿は崩壊すると言われました。

イエスが宮を出て行かれるとき、弟子たちが近寄って来て、イエスに宮の建物をさし示した。
そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「このすべての物に目をみはっているのでしょう。まことに、あなたがたに告げます。ここでは、石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。」 (マタイ24・1-2)

このように、キリスト自らが、旧約時代のユダヤ人に対して裁きが下るということを証言しています。それは、紀元70年に成就しました。

 

 

03/02/14

 

 

 ホーム

 




ツイート