小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実である。

 

今年は、ノーベル賞が2人出た。
おそらく、このような画期的な業績をあげている人は日本にまだまだたくさんいるのだろう。
ノーベル賞は、基礎的で、それ以降の研究に大きな影響を及ぼす画期的な業績であることが選考基準だそうだが、その意味で言えば、ヴァン・ティル、ラッシュドゥーニーの研究はそれぞれ、ノーベル賞10個分に相当するだろう。
惜しむらくは、ノーベル賞に、神学賞がないため、彼らが世間から評価されることはほとんどない。

自然科学分野におけるノーベル賞研究者の業績内容を見ると、研究は非常に建設的で、それゆえ、健全な印象をもつ。
「地を従えよ。」との神の御心を成就しているから、と思う。

これに対して、プレ・ミレの「もうすぐ再臨だ。この世界で何かを開発、改良してもまもなく大患難がやってくるから無意味だ。」というクリスチャンの見解は、実に不健全だと思う。

おそらくプレ・ミレのクリスチャンからノーベル賞を取る学者は出ないだろう。本気でプレ・ミレを信じていれば、研究などしている場合ではないからだ。

プレ・ミレは、建設的な仕事と真っ向から対立する神学である。
プレ・ミレは、建設的、計画的な人を、場あたりの一発屋、その日暮らしのやくざ者に変える神学である。

神は、「地を従えよ」と言われた。地を従えるとは、自然を調べ、その知識を応用して神的な文明を作ることである。

自分の限られた人生の中において、建設的な仕事をして、社会に貢献し、人々の生活を豊かにするために働くことである。

しかし、プレ・ミレは、このような建設的、計画的な人生を破壊する。プレ・ミレの神学に「本気で」したがっている人が目指しているのは、そのようなことよりも、一人でも多くの人が大患難に遭わないように、伝道して、彼らに天国行きの切符を渡すことである。そして、渡された人に対して、「あなたも、この切符渡しの仕事に加わってください。研究のことなどほうっておいて。どんなに画期的な研究をしても、反キリストによってすべて水泡に帰せられるか、悪の帝国のために利用されるだけですよ。」と言って、もう一人「やくざ者」を増やす。

もし彼らの予言とは異なり、再臨が自分の人生の間に起こらなかったらどうするのか。彼らは、やくざ者のままで死ぬ。その間、彼らが地上で残した業績はゼロである。

神は、人間に「地を従えよ」とお命じになった。この地上においてどれほど神の御心を実現するかを神は見ておられる。そして、この人生という「テスト期間」の成績に基づいて、永遠の財産をどれだけ任せるか決定される。

この地上において、神的文明の建設に貢献しなかった人々は、人生を無駄にしている。

「小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実である。」この人生は、「小さなこと」である。もし、小さなことにいいかげんで、自分の欲望のため、自分の栄誉のため、自分が聖書に基づかずに勝手に作った神学のために時間を使ったならば、そのような人々に、「大きなこと」、つまり、天の宝という永遠の富が任されることはけっしてない。

 

 

02/10/10

 

 

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