教職者がなめられないために

 

この一連の掲示において、献金についてかなり強引で強圧的な言葉を述べてきたが、これは、最後の手段であるということをご理解いただきたい。

これは、全世界の教職者の立場を理解いただくための非常手段でもある。普通、牧師や教師はここまでズケズケとは言わない。控えめに述べるか、我慢しておられる。

しかし、もし誰も聖書から述べなければ、信徒としては、情報が得られないから、誤った常識が形成されてしまう。

もし知識がなければ、間違ったことをしてしまうものだからである。最近も私の認識不足からある職業について誤解していたことが明らかになった。その旨を当該の方に述べ、悔い改め、謝罪の言葉を述べた。

同じように、教職者の立場についても、聖書から教えられなければ我々は、誤解を与えて、信徒に今日のように間違った理解が広まってしまう。

キリスト教教職者の地位向上がなければ、キリスト教の発展もないので、私はこのように発言する人々が多く起こされる必要があると思う。教職者がなめられないために、これからも発言するつもりだ。

 

 

02/04/30

 

 

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