思想の影響は巨大である

 

<ご質問>
私は、クリスチャンになった当初は、熱い思いで誰彼構わず伝道したものですが、なかなか信じてもらえない現実を目の当たりにして、熱も徐々に冷めてしまい、長い間守りの信仰生活に陥ってしまっていたのです。罪には鈍感になるし、教会生活も半ば義務を履行しているだけといったような、まあ言ってみれば不良クリスチャンですね。そんな信仰生活を続けながら、このままじゃいけないと思うものの、なかなか立ち上がる事が出来ず、日々の生活に流されていたのが実体でした。
しかし、数年前tomi先生のHPに出会ってから、神の御心が記されている聖書を学ぶことの大切さを改めて教えられました。
これまでの生活を悔い改めて、再び立ち上がるための動機を与えられたと思い、大変感謝しております。
クリスチャンになった頃と同じようにはいかないものの、自分の中では静かに、確かに変わりつつあることを実感しておりますし、tomi先生の情熱にはとうてい及びませんが、これからは、御言葉を正しく学びつつ、一歩一歩前進していきたいと思っております。

<お答え>
再建主義の考えは、前向きです。
「未来に向って前進しよう」というだけではなく、「未来は我々のものだ。勝利は予定されているのだ。」というのですから、私は心の底からリバイブされました。
それまで、プレ・ミレを信じており、「どうせ最後は敗北に終わるのだから…」という暗い気持ちを持っていました。
この暗い気持ちは、神学だけではなく、実際の生活をも侵食していきました。
半対人恐怖に陥ったのです。人が怖くて仕方がなくなりました。
なぜならば、自分のうちに「世の中に対して自分は弱い」という意識があったからです。世の中の人々のほうが、自分の師匠になり、彼らの考え方が基準なのだ、と考えるようになり、自分のありのままの姿が否定されたように感じました。

しかし、再建主義とであってから、「私たちこそ世の光なのだ。こちらが基準なのだ。」というように考え方を変えることができました。
世の人々に合わせるのではなく、自分が神から示されたことを貫いていけばよいのだ、というように考えると、怖いものはなくなりました。
「神が勝利してくださる!だから、私は自分が神から示された常識で生きよう。神は支えてくださるはずだ。」と。
今回も、万事窮すでしたが、乗り越えることができました。
クリスチャンには、絶望などないのですね。正しいことをまっすぐに行えば、必ず道は開けると神が示してくださったと思います。


<ご質問>
また、再建主義についてですが、私の場合、すべて理解出来ている訳ではありませんし、また、すべてについて同意出来るかどうかは解りません。
しかしながら、これまで学んだところによると、再建主義の主張は聖書から外れてはいないとは思っています。先生のHP冒頭にある「キリスト教再建主義運動とは?」に書かれていることは、まったく同意出来ますし、このように考えているクリスチャンは多いのではないかとも思います。
先生のHPを訪れるようになってまず感じたことは、このHPに書かれている様々なことは、キリスト教を理解する上で非常に有益であるということでした。
これは、未信者はもとより信者にとっても同様です。そういった観点から、先生のお働きは大切なものだと思っておりました。また、再建主義が聖書全体の思想を具現しているものであるならば、これは是非、世のクリスチャンが知らなければならないとも思ってます。
この意味からも、先生のお働きは重要であると思います。
私自身、先生のHPがなければ再建主義と出会うことは無かったか、あるいは出会ったとしても何年も後だったかも知れません。
再建主義を知るにつれ、いつの間にか私自身、再建主義のモノの考え方をするようになってきたように感じます。

<お答え>
お褒めにあずかり光栄でございます。
たしかに、このHP以外では得られない情報がけっこうあるのではないかと思います。
インターネットがなければ、裕福ではない私のような人間が、世間様に何かを提供できることなどあるはずもありませんので、インターネットには本当に感謝しております。
もし日本のクリスチャンがこのHPを読んで、考え方を前向きに、そして、聖書の基準だけを生きる指針として思考してくださるならば、日本のリバイバルは近いということになると思います。

プレ・ミレのキリスト教は、思想として非常に大きな欠陥があります。
どの思想でも、思想としての力を持ち、世の中に影響力を持つためには、次の5つの条件が揃っていなければならないと思います。

(1)このシステムにおいてだれが究極の権威か?
(2)権威者はどのような統治組織を持っているか?
(3)行動基準は何か?
(4)行動への賞罰は何か?
(5)このシステムにはどのような未来があるのか?

ディスペンセーショナリズムのプレ・ミレは、彼岸主義で、この世界については諦観が根底にありますので、(1)から(5)までについてクリスチャンに希望を与えるような思想を提供しておりません。

(1)この地上において究極の権威はサタンである。
(2)この地上のすべての権威はサタンにあやつられている。
(3)恵みの時代である現代において律法は無効であり、行動の基準はない。
(4)恵みの時代である現代において取った行動への賞罰はない。賞罰は最後の審判の後にある。
(5)世界は次第にサタンの手中に入っていき、教会やクリスチャンのなした業は水泡に帰する。我々に未来はない。

このような思想は、「敗北の思想」であって、まともな精神があれば、とても信じることはできません。
クリスチャンがこれらを信じてまともにやっていっているならば、それは、ただ一つ逃げ道があるからです。
それは、「もうすぐ携挙があり、このどうしようもない世界から逃げられる。」というものです。

これは、サタンがクリスチャンに吹き込んだ偽の思想です。クリスチャンを敗北者、逃避者に変え、戦闘意欲を殺ぐために作り出された偽の神学です。

聖書は、このようなことをどこにおいても述べていません。
聖書が述べているのは、次のとおりです。

(1)この地上において究極の権威は神である。
(2)この地上のすべての権威は神によって定められ、動かされている。
(3)この地上において、行動の基準は聖書の教えにある。
(4)この地上において、取った行動への賞罰はある。神に服従する者は祝福され強くなり、逆らう者は呪われて弱くなる。
(5)世界は次第に神の手中に入っていき、教会やクリスチャンのなした業は永遠の報いを受ける。未来は我々の手にある。

どうでしょうか。
こんなに素晴らしい教えがあるでしょうか。
この教えが、クリスチャンに希望と勇気を与えないわけがありません。

人々は、思想について、過小評価する傾向がありますが、思想は巨大な影響力を持っています。
20世紀最大の影響力のある経済学者ジョン・メイナード・ケインズは、次のように述べています。

「…経済学者と政治哲学者は、その理論の是非はともかく、一般に考えられている以上に強い影響力を持つ。実際、世界は少数のアウトサイダーによって支配されている。実務的な人々は、『我々は学問から影響を受けることなどない』と考えているが、実際は、どこかの、すでに亡くなった経済学者の言いなりになっている。狂った権力者の狂気の源泉は、幻聴にあるのではなく、何年か前に書かれた三文学術論文にある。徐々に侵食する思想の力に比べれば、既得権益を有する者の力はあまりにも過大評価されている。たしかに、思想は急には実を結ばない。しかし、ある一定の時間がたてば、それは確実に現われる。というのも、経済学や政治哲学の分野において、25才から30才以上の人々が新しい理論に影響を受けることはまずないからだ。官吏や政治家、煽動家ですら、その信じている思想は、最新のものではない。しかし、遅かれ早かれ、また、それが良い方向にであれ、悪い方向にであれ、実際に力を持ち、社会を脅かすのは、既得権益者ではなく、思想なのだ。」(John Mynard Keynes, General Theory of Employment, Interest, and Money(1936).)

人間的に見れば、今ここで述べていることが、将来どのような巨大なパワーを持つようになるかはまだ明らかではありません。
しかし、聖書が神によって記されたのであれば、聖書に基づいた理論が確実な結果をもたらすことは、疑う余地がありません。

リバイバルは、真に聖書的な思想からのみ生まれます。
それ以外は、サタンが一枚噛んでいるので、ほころびがあるのです。
純粋であればあるほど、我々の立場は強力なのです。
だから、世界を変えるほどの力があると言っても、ドンキホーテのたわごとにはならないのです。

 

 

02/05/03

 

 

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