正当な知識と不当な知識
知識には、正当な知識と、不当な知識とがある。
人間には、神が啓示された知識しか知る権利がない。
近代の人間は、知識を自分が知りたいと思うものを際限なく知ることができると考えているが、聖書はそのようには述べていない。
神は、「顕されたことはあなたがたに属し、隠されたことはわたしに属する」と言われ、明確に区別しておられる。
「隠されていることは、私たちの神、主のもの。しかし、現わされたことは、永遠に、私たちと私たちの子孫のものであり、私たちがこのみおしえのすべてのことばを行なうためである。」(申命記29・29)
死後の救いについての知識については、我々は、神が聖書の中において啓示された以外の情報は一切得られない。その他のことは、神が隠しておられるのであるから、それを得ようとしてはならない。
聖書に記されていない、死後の世界、霊界、未来についての知識(予想ではない)などは、神が隠しておられることである。これらについて詮索することは、「占い」や「霊媒」の罪である。
「それでは、科学は、罪なのか。自然界についての知識は、聖書に記されていないが・・・。」と尋ねる人がいるだろう。
自然について、社会について、我々は、それらがすべて神の啓示であるがゆえに知ることを許されている。
「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。」(詩篇19・1)
「神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。」(ローマ 1・20)
被造物は、神の自己啓示なのだ。
被造物は、神がどのような方であるかを示すための、神の自己紹介文のようなものである。
それゆえ、自然について、社会についての知識は、正当な知識であるだけではなく、人間にとって義務なのだ。人間は、自然を調べ、人間を調べ、社会を調べて神についての知識を得るべきである。そして、それを神の御国のために利用しなければならない。そのようにして、人間は地を従えなければならない。
しかし、死後の世界や超自然の世界について、人間は検証する術をまったく持たないのであるから、それらは隠された事柄である。我々は、自分の未来について占い師に尋ねることを許されていない。死後の世界について霊媒に尋ねることを許されていない。
それらについては、聖書が示す限界で満足しなければならない。
我々は、サタンについて、悪霊について、天使について、ことさらに詮索すべきではない。キリストは、「サタンの深いところ」(黙示録2・24)を知るべきではないと暗示された。
フリー・メイソンを中立のように考えることはできない。彼らは秘密の知識を握ることに価値を置くサタン的集団である。第一の聖書と第二の聖書の中に記されていないことについての知識は、ことごとくサタン的であるから注意が必要である。
02/10/05