ミイラ人間になろう!
神に用いられるためには、自分の内側をすっかりくり抜かれて、だだの皮だけになったミイラ人間になる必要がある。その人は、外側から見れば人間だが、内側は空洞である。その空洞に神の霊が満ちるということがなければならない。
自分の内側の野心、功名心、金銭欲、権力欲、覇権欲などがあるうちは、神の御道具になることは不可能である。
人間的な手段をいっさい否定し、ただ神が働かれることだけを期待するのでなければ、何一つ神の御業はできない。
人間の内側は、生まれながらの罪で満ちているので、そのような腐った内臓が詰まった状態では、神の御業を妨害するだけである。
内側がくり抜かれている人は、正しい教えを聞いたならば、素直にそれに賛同する。自分の立場が失われるのではないかとか、自分のグループの覇権が侵されるのではないか、などという心配をしないからである。
内側がくり抜かれていないと、肉の働きが素直になることを邪魔するので、無意味な抵抗を行うようになる。これは、危険である。
なぜならば、神の御業を妨害することになりかねないからである。
もちろん、神の御業を妨害する人は裁かれて弱くなる。
祝福がないため、次第に勢力がそがれて、ついには滅ぼされてしまう。
内側がくり抜かれている人は、ただ神の栄光が現われ、御心が成就することだけを期待する。自分の名前が有名になったり、キリスト教界で勢力をつけたり、崇められたりすることなどどうでもよいことだと思っている。
使徒たちのように、むしろ、神の御名のために辱められたことを喜ぶようにすらなる。
目指すのは、ただ、最後の審判の時に、正当な評価を受けることだけである。
目をその一点に据えていれば、この地上での人間的評価などどうでもよいことに思えてくる。
本当のリバイバルとは、このような人々によってのみ達成されるものだと信じる。
03/03/11