ノンクリスチャンに聖餐を与える教会はそのノンクリスチャンを滅ぼしている
だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。従って、ふさわしくないままで主のパンを食べたり、その杯を飲んだりする者は、主の体と血に対して罪を犯すことになります。だれでも、自分をよく確かめたうえで、そのパンを食べ、その杯から飲むべきです。主の体のことをわきまえずに飲み食いする者は、自分自身に対する裁きを飲み食いしているのです。そのため、あなたがたの間に弱い者や病人がたくさんおり、多くの者が死んだのです。わたしたちは、自分をわきまえていれば、裁かれはしません。裁かれるとすれば、それは、わたしたちが世と共に罪に定められることがないようにするための、主の懲らしめなのです。わたしの兄弟たち、こういうわけですから、食事のために集まるときには、互いに待ち合わせなさい。空腹の人は、家で食事を済ませなさい。裁かれるために集まる、というようなことにならないために。(1コリント11・26-34)
聖餐をノンクリスチャンにも与えるならば、そのノンクリスチャンは、「ふさわしくないままに飲み食いする」ということになり、「自らに裁きを招く」ことになります。つまり、その聖餐にあずかるノンクリスチャンは、知らずに自分の身を滅ぼしに教会に通うことになるのです。パウロは、いいかげんな気持ちで聖餐を与えている教会において「病人や死人が沢山出た」と証言しています。
この教会の牧師は、ノンクリスチャンの救いのためにという気持ちでやっているのでしょうが、正しい神学的な知識がないために、かえって彼らに害を与えています。教会員は、即刻、牧師にこのような罪をやめさせるよう働きかける責任があると思います。
「裁かれるために集まる、というようなことにならないために。」
02/09/06