大嘗祭における死と再生

 

神道において死と再生は、中心的なテーマであるという。

伊勢神宮の20年ごとの遷宮は、死と再生を表しているという。

天皇即位後の初めての新嘗祭である、大嘗祭において、天皇は、聖水沐浴、神人共食、御衾(おぶすま、寝所)秘儀を行う。折口信夫博士を始めとする国学の大家たちによると、次のような意味があるという(http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r18-30.htm)。

すなわち、

(1)聖水沐浴
天皇は、「天羽衣」と称される湯帷子(ゆかたびら)を着て湯殿に入り、湯槽の中でそれを脱ぎ捨てられる。そしてそこを出て、新たな天羽衣に着替えられ、神饌が用意された寝所に進まれる。なぜ「天羽衣」というかと言えば、聖水による沐浴とは、単なる禊ぎではなく、産湯であり、これは、新生を意味しているからである。

(2)神人共食
新生した天皇は神(天照大神)に神饌を供えられ、ともに与れる。神道において、食は生のエネルギーであり、新たな魂である。すなわち、このとき天皇は天照大神と同じ霊力を身体に入れられる。

(3)御衾秘儀
一説に神人共寝だと言われ、また、紀記の天孫降臨の際にニニギ神が身にまとわれた御衾と同意だと言う。御衾に包まれたニニギ神の、産着に包まれた赤ん坊のような姿とは、実は穂に包まれた稲の姿であり、稲魂の誕生こそが含意である。 

ここに一貫して流れているのは、死と再生のテーマである。

水の中で古い自分を捨てて、水から出て新しい自分になり、神とともに食事をするという儀式に、バプテスマと聖餐と共通の要素を見ることはできないだろうか。

 

 

03/03/14

 

 

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