罪意識は主に救いの結果与えられる
<ご質問>
あたしはまだ、新約聖書を読み始めたばっかりなんですが、一個質問があるんです。キリスト教を信仰して、救われるといわれますが、どんな風にすくわれたとゆうのかわかりません。信者は、自分はなんて、罪深い人間だ、と思うって、塩狩峠に書いてあったんですが、そう思うことが救われたとゆうことなんでしょうか?
<お答え>
救われるということは、「イエス・キリストを自分の主として受け入れること」です。
これには主に2つの事柄が含まれます。
1)イエス・キリストを自分の救い主として受け入れること。
イエス・キリストは、人間として、私たちの罪のために十字架につけられ、私たちのすべての罪と咎を清めてくださいました。
また、人間として律法を完全に守り、神から永遠の生命を受け取る権利を与えられ、その功徳を私たちに分配してくださいました。救われたい人は、このことを受け入れなければなりません。
2)イエス・キリストを自分の人生の主権者として受け入れること。
イエス・キリストは、神であり、それゆえ、全被造物にとって、主です。イエス・キリストを最高主権者として受け入れて、その命令に絶対服従することを誓わねばなりません。個人生活だけではなく、あらゆる生活・思想領域において、完全に主に服従する決意をしなければなりません。
救われた人に伴なう主な特徴は、次のとおり。
1)罪意識がある。
救われた人は、自分の本当の姿をはっきりと理解できるようになります。つまり、自分は、神の御前において罪人である、ということです。聖霊は、はっきりとこのことを教えてくださいます。
2)聖書に従う。
救われた人は、聖霊を受けます。聖霊を受けたかどうかは、その人が聖霊の言葉である聖書に従っているかどうかによって、はっきりとします。聖霊を受けている人は、自分の意見を否定し、聖書の教えに絶対服従します。
このように、罪意識の大部分は、聖霊を受けた結果として与えられます。
聖霊を受ける前は、私たちの霊的認識力はほとんどゼロです。
だから、自分の霊的状態についての知識はほとんどゼロです。
それゆえ、自分が罪人であるということがわかりません。
しかし、救われた人は、聖霊によって、自分の霊的状態がわかります。自分がなんて罪人なんだ、と思うことができます。
02/05/15