愛とは何か?
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ご質問>日本で生まれ育った者は、愛を知らないのです。
キリスト教で言う【愛】を教えてください。
また、それ以外の
(全部で3種類存在するという)愛も詳しく教えてください。どうぞよろしくお願いいたします。
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お答え>聖書における愛とは、「相手の利益を大切にすること」です。
愛の行為とは、相手にとって価値のあることをしてあげることです。それは、高いものを買ってあげることとか、相手に無思慮に物質的利益を与えることではありません。
聖書において価値とは、神が決定されることですから、あくまでも、「神の目において価値のあることを相手にしてあげること」です。
神の目において価値のあることとは、信仰において成長し、神の役に立つ人間になることです。
いくら御金が尊いものであるとしても、それによってその人が、神を忘れて、自己満足的な生活をするようになるならば、それは愛ではありません。
世界は神を中心に回っており、その世界の現実にぴったりと合致した歩みをすることが「価値ある生き方」であり、隣人がその生き方ができるように導き、そのために御金を出したり、サービスやものを提供することが愛の行為なのです。
相手が神の法を破るようなことをしているならば、それをやめさせることが愛であり、間違った道に進んでいるならば、忠告することが愛です。隣人の奥さんと姦淫をして、「あなたを愛しています」というのは、愛ではなく、憎しみです。それは、自分の欲望を満足させるエゴイストの仕業です。彼と彼女は互いに相手を自分のために利用しているのです。相手が神の法からどのように遠ざかっても意に介しません。
自分がどのような人間であり、何を拝んでいるかは、「自分は何に御金を使っているだろうか?」と問いかけることによって明らかになります。
人間にとって、金銭は主要な関心事の一つです。真のクリスチャンは、神の御国建設に御金を遣い、知恵を得るために全財産を費やします。
「知恵の初めに、知恵を得よ。あなたのすべての財産をかけて、悟りを得よ。」(箴言
4・7)真のクリスチャンは、聖書の言葉と健全な教理に対する関心があり、それを人生の主要な目標とします。だから、そのような人にとって、信仰書を買うことは苦痛ではありません。むしろ、健全な教えを説く書物のために金に糸目をつけません。
また、健全な教えを説いている教会に対して献金をすることに躊躇することはありません。その人は、全世界において福音が広まるために、最善の努力をします。
愛とは、全世界の民族、そして隣人がキリストの弟子となることを望み、その成長のために直接的、間接的に尽くす行為なのです。今日、映画やテレビなどで言われている「愛」とは、まがいものの愛であり、単なる自己充足のエゴイズムに過ぎないのです。
02/03/13
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