ア・ミレとプレ・ミレは地上のクリスチャンを王としない
ア・ミレとポスト・ミレの違いは、ア・ミレが「千年王国とは中間状態(死後肉体を離れて霊だけになった状態)にいるクリスチャンが天において支配すること」であると考えるのに対して、ポスト・ミレは「千年王国とは天においても地においても、クリスチャン(霊だけのクリスチャンと地上にいるクリスチャンの両方)が支配すること」と考える点にある。
つまり、ア・ミレは、「この地上歴史において(肉体を持つ)クリスチャンは王ではない」と考えるのに対して、ポスト・ミレは「この地上歴史においても(肉体を持つ)クリスチャンは王である」と考える。
ア・ミレとプレ・ミレが地上歴史において肉体を持つクリスチャンは王ではない、と考える大きな理由は、「目の前の悲惨な現状や歴史を見るととてもクリスチャンが王であるなどと考えられない」という「現実主義」があるからである。
しかし、これはまったくオカシイ。なぜならば、聖書ははっきりと、地上クリスチャンも王であると述べているからである。
キリストが王であることはマタイ
28章で「わたしは天においても地においても一切の権威が与えられています」と言われたので、教会は信条の中に「キリストの王権」を取り入れてきた。つまり、キリストが王であるということは、歴史的正統的教会がとってきた正統的な教えなのだ(ハーザー誌は現在キリストは王ではないというが)。周知のように、教会のかしらはキリストである。
ならば、教会が王ではないとなぜ言えるのだろうか。かしらが王であるのに、その体が王ではない人物がいるだろうか。キリストと教会は同じ一つの体に属しているのだ。
01/08/03