古代人はアホだったのか?
最近、石器発掘捏造事件があったのは御存知のとおりである。
さて、もしこの事件が明るみにでなければ、50万年間も人間は石器だけで暮らしていたということが信じられていたわけだが、そうでなくても、50万年近くもの間人間が石器だけに頼って、少しの進歩もしなかったという説明そのものが、私には到底受け入れることができない。
そんなに人間とはアホなのだろうか。
進化論の「人間は徐々に進化して現在の高度な知能を持つに至った」というパラダイムが正しければ、そのような緩慢な進歩もあるとも言えるだろうが、私には、古代人がそんなに知能が低かったようには思えない。
数千年前の近古代の話になれば、彼らが単純なことを考え、単純な言葉を話していたという証拠はない。古代の言葉はだいたいにおいて、非常に文法が複雑である。一般に世界でも習得が難しい部類に入るとされるロシア語ですら、古代ギリシャ語やヘブライ語に比べればはるかに単純で容易である。
インド・ヨーロッパ語族の言葉ということに限って言えば、退化の道をたどってきたとすら言えるように思われる。英語は、屈折語の中では最も退化した言葉であろう(今では「孤立語」の仲間に入れられているらしい)。オランダ語も、戦後語尾変化を単純化して、英語に近くなってしまった。
人間は、昔から非常に複雑な言葉を操っていたことや、ギリシヤ哲学者やキリスト教教父たちの知的活動を見ても、昔の人々の知的な能力はたいしたものだ。
次々と明るみに出る偽造捏造事件や古代文明の証拠から、進化論的世界観は危機に瀕している。
人間は、徐々にサル的動物から進化したのではなく、はじめ、神によって非常に優れた能力を与えられていたが、堕落によって、次第に能力を発揮できなくなったというほうが正しいのではないだろうか。
そして、そのような能力は、キリスト教による人間解放によって、回復されつつあると考えるほうが史実に近いと思う。