反キリストについて

 

 キリスト教の雑誌などで、「反キリストの出現が間近に迫っている」というプレ・ミレの人々の声を頻繁に耳にする。

 しかし、反キリストが、彼らが主張するような、再建されたローマ帝国(ヨーロッパ共同体)から現われる独裁者であることを聖書から論証することはできない。

 反キリストとは、聖書において4箇所しか出てこない。

 

小さい者たちよ。今は終わりの時です。あなたがたが反キリストの来ることを聞いていたとおり、今や多くの反キリストが現われています。それによって、今が終わりの時であることがわかります(1ヨハネ2・18)。
偽り者とは、イエスがキリストであることを否定する者でなくてだれでしょう。御父と御子を否認する者、それが反キリストです(1ヨハネ2・22)。
イエスを告白しない霊はどれ一つとして神から出たものではありません。それは反キリストの霊です。あなたがたはそれが来ることを聞いていたのですが、今それが世に来ているのです(1ヨハネ4・3)。
なぜお願いするかと言えば、人を惑わす者、すなわち、イエス・キリストが人として来られたことを告白しない者が大ぜい世に出て行ったからです。こういう者は惑わす者であり、反キリストです(2ヨハネ7)。

 

 これらの個所からどうして反キリストはヒトラーのような単一の独裁者であると証明できるのだろうか?

 ここで、反キリストとは、「多くの」とか「大ぜい」の人々であると言われている。

 また、これらの個所からどうして反キリストは世界を支配する政治的な人物であると証明できるのだろうか?

 彼は、「イエスがキリストであることを否定する者」であり、「イエスを告白しない」者であり、「イエス・キリストが人として来られたことを告白しない」者であり、「人を惑わす者」であると言われているが、どこにも世界を支配する政治的な人物であると言われていない。

 ヨハネの言葉から分かることは、彼らは、宗教的な人々、イエスをキリストと認めない異端者であるということだけである。

 

 また、反キリストが終末に現われる人物であるとどうして分かるのだろうか。たしかに、1ヨハネ2・18では、「終わりの時」という言葉が用いられている。しかし、ヨハネは、「今は終わりの時です。」と述べている。つまり、紀元1世紀のヨハネが生存している時が世の終わりであり、しかも、すでに「反キリストは現われてい」ると言っている。これがどうして最後の審判の直前という意味での世界の終末に現われると考えることができるだろうか。

 

 そもそも、手紙とは直接の読者が分からないことを記すものではないのだ。手紙の読者が読んでもチンプンカンプンな、ヒトラーだとか、ムッソリーニだとか、ロスチャイルドだとか、ローマ教皇だとか、終末に現われる再生ローマ帝国の皇帝だとかについて、書いて何の益があるのだろうか。ヨハネは、読者に対して「反キリストに注意せよ」と警告を発している。そうならば、この反キリストとは、紀元1世紀に登場した、読者がすぐに理解できる人物であると考えるのが筋ではないだろうか。

 

 終末論に関しては、現在、聖書の私的解釈がまかりとおっている。反キリストの到来を警告する人々は、聖書は聖書によって解釈する原則を破棄して、聖書を新聞やテレビニュースによって解釈している。

 

 

 

 

 

 




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