「不法の人」は「反キリスト」か?
終末に関する通俗本において、よく取り上げられている「反キリスト」については大きな誤解がある。
ハル・リンゼイは、第
2テサロニケの「不法の人」(2・3−12)は、終末に現われると言われる反キリストを指すと述べているが、聖書の文脈を大きく逸脱した解釈である。なぜならば、この「不法の人」が現われるのは、「主イエス・キリストが再び来られ」「私たちが主のみもとに集められる」(2・1)前のことであると述べられているからである。
さて、この主イエス・キリストが再び来られるのは、終末時であるとパウロは述べているだろうか。
そうではない。パウロは、イエス・キリストが再来されるのは、紀元
1世紀のテサロニケの人々に であると述べている。「つまり、あなたがたを苦しめるものには、報いとして苦しみを与え、苦しめられているあなたがたには、私たちとともに、報いとして安息を与えてくださることは、神にとって正しいことなのです。そのことは、主イエスが、炎の中に、力ある御使いたちを従えて天から現われるときに起こります。」(1・6−7)
「主イエスが、炎の中に、力ある御使いたちを従えて天から現われる」のは、「あなたがたを苦しめるものには、報いとして苦しみを与え、苦しめられているあなたがたには、私たちとともに、報いとして安息を与え」るためである、と彼は言う。
さて、ここで、「あなたがた」とは誰を指しているであろうか。
そう、紀元
1世紀のテサロニケ教会のクリスチャンたちである。終末時代に住むクリスチャンのことを言っているのではない。
この「再来」の前に「不法の人」「滅びの子」が現われるというのであるから、彼は紀元
1世紀の人物であり、終末時に現われるとディスペンセーショナリズムが言うところの「反キリスト」とは別人であるといわねばならないのである