バッサリ切るには、まだ早い
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千年王国が 前か後かって事で 主の働きが制限される>
事もないし 人間の思惑がどうであれ 主の御手の内に>
この世界は存在し 私たちもその中で生かされているの>
ですから。 ポスト・ミレとプレ・ミレの主張もすべて>
相反するものなのか・・ よく分かりませんが。
恐らく、千年王国論は初めて耳にされたのだと思うので、初めから説明しましょうね。
大きな違いは、次の点です。
プレ・ミレは、今の世界は、これから次第に悪くなって、サタンの手中に入り、全世界が反キリストの独裁体制の中に入ると預言します。クリスチャンは迫害され、聖霊を通してクリスチャンが行ったすべての努力も、サタンによって踏み潰されてしまいます。だから、クリスチャンは、この世界を変えようとすべきではなく、一人でも多くの人を救いに導いて天国行きのキップを与えるだけで十分だ、とします。奥山氏の意見を読んでもそれはわかりますね。
ポスト・ミレは、世界はだんだんとキリストの主権の中に入っていき、政治から経済から教育から、すべてがキリストの御心に基づいたものに変わっていくと考えます。だから、クリスチャンは確信を持って、世界の改革のために戦うことができます。キリスト教は、単なる「天国行きのキップを渡す」ためにあるのではなく、「地を従え」「世界の国民を弟子とする」ためにあると考えます。
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千年王国が 前か後かって事で 主の働きが制限される>
事もないし 人間の思惑がどうであれ 主の御手の内に>
この世界は存在し 私たちもその中で生かされているの>
ですから。
千年王国が前か後かによって主の働きは大きく制限されますね。
なぜならば、「世界を変えられる」という人が多いか、「世界を変えられない」という人が多いかによって、当然、神の働きの前進スピードも変わってくるからです。
人間の思惑はどうあれ、神がことを行われるのだから、そんな人間の考え方なんて関係ないというのは、「神は人間を使ってことを行われるわけではない」という考えがあるからでしょうが、聖書はそのようには言っていません。
神は、人間を通してのみことを行われるのです。
もし、神が人間を通してことを行われないならば、一瞬のうちにサタンを滅ぼして新天新地を作って、みんな新しくしてしまえばよいのです。神にはその力があるからです。
なぜ、これだけ、神が時間をかけて、徐々にことを行われているかと言えば、それは、「神は人間を通してことを行われるから」なのです。
人間が、教会を改革しなければ、教会は新しく、活力に満ちたものにはなりません。それとも、神が教会の礼拝の最中に姿を現されて、「教会を改革せよ」と言われ、長老会の中において、議長を務めたり、自ら講壇に立って説教されますか?
神は、人間を通して働かれるのです。
それゆえ、人間は、聖書から神の御心を探って、それを広め、教育
して、教会に真理を伝えなければならない。ポスト・ミレかプレ・ミレか、どちらが正しいかについて論争することが大切なのは、「神は直接ことを行われるのではなく、人間を通してことを行われる」からに他なりません。
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両者の言い分も 自分を優位にするため 聖書の御言葉>
を都合よく利用してるようにも思います。もっと歩みよ>
って 客観的に互いを理解していかれたら好いと思いま>
すょ。(^^;) お気を悪くされたらすみません。
こういった感想は、恐らく、話の内容が見えていないからでしょう。
両者の主張をよく読んで、聖書を調べて、じっくりと研究されるとよいと思います。
バッサリ切るには、まだ早いでしょう。
01/09/07
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