神学に対する偏見や無理解を克服せよ
「神学をやると伝道しなくなる」という伝道者がいる。
こういうことを言う人は、
「あなたは目ではない。目になりなさい。」というようなもので、体全体のことを考えていない。
目だけの体なんて存在できない。それと同じように、伝道ばかりしている人間だけで教会は成立しない。
人間の社会は分業で成立している。神は、分業が高度化すればするほど喜ばれる。
人間が互いに神の下に依存し合い、それぞれ専門を定めて、その専門において進歩し、発展する社会を、神は望んでおられる。
もし、自分で何から何までやらねばならないならば、ひとつひとつのことについて中途半端であり、何ひとつ満足にできない。
このような分業が高度化しない自給自足の社会は、未熟な社会なのだ。
大衆伝道師が難しい神学書にかじりつく必要はない。
そういう研究は神学者に任せればよい。神学者は研究の成果を伝道者たちに還元すればよい。
伝道者はその成果を利用して、伝道に生かしていけばよい。
神学は、教会の基礎を決定付けるので、極めて重要なのだ。
間違った神学が普及すれば、教会はガタガタになる。
事実、歴史的に長い間異端とされてきた、プレ・ミレが今日の教会ではスタンダードになったために、教会はガタガタになっているではないか。
神学における間違いは決定的な間違いなのだ。伝道集会において司会者が式順を間違えたのとはわけがちがう。
神学に対する偏見や無理解を克服しない限り、教会は今日の行き詰まりから立ち直ることはできないだろう。