何億年もの長さの地球歴史を信じることは異端の始まりである
>>そして、もし、これが正しいとすれば、地球は過度に成熟している必要はない。
>>つまり、何億年も経過している必要はなく、アダムと動植物が生息できるに足る
>>年齢を経過しているだけでよいではないか、と考えるのです。
>そうですね。
>でも、それは先生がそのようにお考えになるというだけで、そう考えないと
>聖書の真理が成り立たなくなるというものではありませんよね。
いや、成り立たなくなるでしょう。
聖書は、明らかに「この宇宙は人格的な宇宙であり、あらゆる部分に神の人格的な関与が常にある。」と教えています。「一羽のすずめですら、神の御心によらないでは地に落ちることはない。」とあるように。
それゆえ、クリスチャンは、あらゆる部分に神の御手を見るべきだし、あらゆる部分は神の計画の一部であると考えるべきです。
創世記の記述は、明らかに「神はご自分の目的のために、宇宙を創造し、地球を人間の手に委ね、管理させ、彼を通してご自身の栄光を現そうとされた。」という文脈のもとに書かれています。ですから、創造はごく短期間のうちに行われた、しかも、それは、人間がそれを真似るようにと、
6日の労働と1日の休息というリズムで行われたとされています(出エジプト20・11)。さて、何億年というタイムスケールはこれとどのように調和するのでしょうか。
何億年という時間を見せられるときに、「神はこのように人間の活躍の舞台を念入りに整えておられた。」という信仰が生まれるよりも、「人間が誕生する前にこれほどの時間があったのだから、人間の誕生は神の意志によるのではなく、進化の積み重ねによったのではないだろうか。」と考えるのが普通でしょう。
何億年という空白があったことを信じることは、聖書の真理をぼやかし、人間の起源を偶然に求め、その結果、罪の存在を否定し、キリストの贖いを否定する重大な異端的見解につながると考えます。