ボブ・ジョーンズ大学への疑い

 

 ボブ・ジョーンズ大学については、疑いを払拭することはできません。

 彼らが公的に悔い改めていないならば、「彼らが人種隔離の主張を引っ込めているのは、最近の公民権運動や、人種統合の風潮に逆らって、学生数を減らしたくないためだけであって、根底には南部キリスト教に根強く残っている独特の人種差別主義思想をまだ心の奥底で持ちつづけており、それが教科書や様々な文書の中に出てきて害を与えないとも限らない」という疑いは持っていますね。

 だから、こういった思想的な影響を受ける恐れのない数学や理科などではボブ・ジョーンズ大学の教科書を使うことには賛成いたします(これはマーク・ラッシュドゥーニーやジョン・ゼンズのアドバイスでもあります)。

 そもそも、わたしが、ジョン・ゼンズ(BJUについての論文を送っていただいた)や、カルケドン、マーク・ラッシュドゥーニーに問い合わせたのは、第一には人種差別主義についてではなく、「ディスペンセーショナリズムのプレ・ミレ」でした。実は、人種差別主義よりも、こちらのほうがクリスチャン子弟にとって危険なのです。

 御存知のように、ディスペンセーショナリズムは、神の契約が歴史において一貫して継続していると考えずに、時代時代によって統治原理が変わったと教えます。そして、その時代時代に特有の原理は、互いにけっして交わることがなく、その時代にのみ通用するとします。律法の時代には律法だけ。恵みの時代には恵みだけ。それゆえ、恵みの時代である今日において、律法は無効であると教えます。また、律法に対してどのような対応をしたかに伴なう「祝福と呪い」も今日では存在せず、すべて、最後の審判において実現するというのです。

 これは、改革主義の契約神学と対立するだけではなく、聖書の明白な教えとも矛盾します。このような立場を採る同大学が出版した教科書には充分に配慮しないと、この異端的な教えがホームスクーリングの中に侵入する恐れが充分にあります。しかし、ホームスクーラーが充分な神学教育を受けているわけではありませんから、何を選択して、何を退けるかについて明白な区別立てが恐らくできないでしょうから、安全策は、数学や理科などの思想が入り込む余地が少ないものに限定することだと思います。もしくは、指導者が充分にホームスクーラーに説明をして内容を指導されるのがよいと思います。

 

2001/08/28

 

 

 




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