聖書の数字
> 現在の国家財政の国債残高は確か666兆円になるそうで、国家財政破綻という状態で
> すが、黙示録に出てくる666と関係はないのでしょうか?黙示録に出てくる666は、将
> 来現われる反キリストなどではなく、実在の歴史上の人物なのですが、このような数
> 字を通して、神が何らかの警告なりを発しておられると見ることはできないのでしょ
> うか?聖書では、6は、確か人間を表す数字とされますので、神無視のヒューマニズ
> ムの破綻を示しておられるとは言えないでしょうか?この666に関しては、1998
> 年7月28日の記事ですが、朝日新聞に下記のような小さな囲み記事があり、666と
> いう数字に目が留まり、ファイルしていたのですが、666(第666選挙区)という数字
> を通して、無神論マルキシズム北朝鮮国家の破綻を示しておられるとは見れないで
> しょうか?(投票率100%、賛成100%というのは異常な体制だと思いますが。)それ
> とも、そのようなことは考えるべきではないのでしょうか?富井師のお考えをお聞か
> せ下さい。
>
> 1998年7月28日の朝日新聞の記事は下記の通りです。
>
> 北朝鮮「金総書記の当選を発表」人民代議員選挙
> [RP=東京]朝鮮中央放送と平嬢放送は27日正午(日本時間)、朝鮮民主主義人民
> 共和国(北朝鮮)の金正日労働党総書記が26日に投票が実施された最高人民会第1
> 0期代議員選挙で当選したとの「中央選挙委員会報道」を伝えた。同総書記は軍人の
> 選挙区と見られる第666選挙区で候補者登録されていた。投票率は100%で、賛成も
> 100%だったとされる。〜後省略〜
たしかに、そういう啓示のされ方を神はなさるかもしれません。
ソロモンが一年で集めた金の重さは666タラントであったと言われています。
「一年間にソロモンのところにはいって来た金の重さは、金の目方で六百六十六タラントであった。」(1列王 10・14)
この財宝の量を表す数字が彼の堕落への道を暗示していると見ることは可能です。
事実、彼は晩年に偶像礼拝に陥り、その罪のためにイスラエル国は分裂することになりました。666は明らかに背教を象徴する数字だと思います。
聖書において数字は象徴の一つであり、何らかの意味を持っています。
神が、現在の歴史の中でも数字を用いて何かを警告しているとか、御心を示していることはあると思います。
例えば、ユダヤ国家はキリスト誕生から70年あまり(神殿崩壊)しかもちませんでした。キリストの公生涯は30才からですから、キリストの十字架から40年で裁きがくだったということになります。
40年はイスラエルが荒野において放浪した年数であり、出エジプトから40年たって御国を象徴するカナンに入ったことから、恐らく、キリストが十字架にかけられ復活昇天され(紀元30年頃)た時からクリスチャンの(過越の小羊がほふられて贖いが達成された)出エジプトが始まり、ユダヤ人とローマ人の迫害という40年間の試練を経過し、紀元70年の神殿崩壊においてユダヤ人が裁かれ、正式にクリスチャンの体が聖霊の神殿となり、クリスチャンが正式に御国(=カナン=エデンの園)に入ったことを表していると思われます。
つまり、
キリストの十字架・復活・昇天――迫害・試練の40年――神殿崩壊に伴なう正式な御国の到来
過越の小羊による贖い ――荒野の放浪の40年―― ヨルダン川渡渉後カナン入植
という並行関係が存在すると思われます。
カナン入植後、イスラエルは、カナン全土を一挙に支配したのではく、徐々にカナン人を駆逐していきました。
それと同じように、クリスチャンは徐々に全世界からサタンの文化を駆逐し、世界中にキリストの主権を確立します。死罪に当たる罪を犯したカナン人やカナンの文化は完全に絶滅すべきであったのと同じように、クリスチャンは、世界の中から神の御心にかなわない異教文化を絶滅しなければなりません。それは、暴力によるのではなく(剣を取る者は剣で滅びる)、愛と伝道(御言葉は剣であると言われている)によって徐々に国民がキリストを自発的に救い主として受け入れることができるように勧めることによってです。この絶滅の働きは聖霊による内側からの変革であり、それゆえ徹底しているのです。
また、ソ連邦は、70年あまりで崩壊しました。これは、完全数の7であると同時に、人間の一生の年数(詩篇90・10)でもあります。(*)
ヒューマニズムの世界初の実験国家が、人の一生の年数しかもたなかったということは、神に真っ向から逆らう文化の短命を象徴していると思います。
(*)
「私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。しかも、その誇りとするところは労苦とわざわいです。それは早く過ぎ去り、私たちも飛び去るのです。」(詩篇90・10)
寿命は神が決定されます。現在においては、神は70年を一つの標準とされています。70年を全うすればその人は、人間としての通常の(ノーマルな)コースをたどったと考えることができます。また、寿命と律法遵守とは密接な関係があるので、人の寿命や民族の平均寿命が律法遵守と関係しているといえると思います。
「あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。」(出エジプト20・12)
「彼(ダビデ)は長寿に恵まれ、齢も富も誉れも満ち満ちて死んだ。彼の子ソロモンが代わって王となった。 」(1歴代29・28)
もちろん、70年に満たないで死ぬ人や70年を越えて生きる人すべてが、それぞれ呪われた人、祝福された人と言うことはできません(カルヴァンは55才で死亡)が、しかし、総じて、神の律法を守る遵法的な民族は、寿命が長くなり、70才前後になると思います。
ユダヤ人の回復に続く祝福の時代が来れば、全世界の民族がキリストの弟子となり、遵法的になるので、神は現在とは異なる標準寿命を設定されます(**)。
「百才で死ぬ者は呪われた者と呼ばれる」とイザヤは預言しています。
「そこにはもう、数日しか生きない乳飲み子も、寿命の満ちない老人もない。百歳で死ぬ者は若かったとされ、百歳にならないで死ぬ者は、のろわれた者とされる(イザヤ65・20)。」
また、恐らく、詩篇90・10は、現在の標準寿命において、私たちの人生は、1週間が7日で出来ているように、10年を1つの単位としてそれが7つ集まって構成されているということを示しているように思われます。自分の人生を振り返っても、10年ごとに大きな転機が訪れているように思えます。モーセは40才でイスラエルのために立ち上がりましたし、イエス様も30才で公生涯に入られました。もちろん、すべての個人がこの枠組みに当てはまるわけではありませんが、総じて、このような傾向があるのではないかと思います。
(**)恐らく、神が設定された標準寿命は、次の3段階であったと思います。
洪水前の人類 ―― 1000才(創世記5章)
洪水後からアブラハム ―― 120才(創世記6・3)
アブラハムから現在 ―― 70才(詩篇90・10)