文化命令と天皇制

 

文化命令とは、創世記1章28節において神がアダムに対してお与えになった被造物支配の命令のことを指します。

「神はまた、彼らを祝福し、このように神は彼らに仰せられた。『生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。』」

この世界は、すべて神によって無から創造されたのですから、人間は、神の権力代行者として、あらゆるものを神の御心にしたがって統治しなければなりません。現代世界を支配しているヒューマニズムは、神の支配を拒否して人間の力だけで、ただ人間の知恵によって、ただ人間のために世界を治めようと試みますが、キリスト教は、それとは正反対に、ただ神の力により、ただ神の御言葉にしたがって、ひたすら神のために、世界を治めることを目指します。政治、経済、芸術、スポーツ、学問などあらゆる領域は、すべて神の栄光を表すものに変わらなければなりません(1コリント10・31)。一言で言えば、文化命令とは、「世界のあらゆる部分をキリスト礼拝の場と変える」(ヴァン・ティル)ことを意味するのです。そして、クリスチャンとは、サタンの国を滅ぼし、この世界に神の主権を打ちたてるために召された兵士であり、世界に向って神との平和を説く和解の使節として選ばれた人々なのです(2コリント5・18-20)。

幾分誤解されているようですが、文化命令は、けっして帝国主義的な、暴力や強制や略奪による支配を奨励しているわけではなく、神が造られた世界と人々を愛し、聖書が教えている愛と調和と繁栄の世界を築くことを目指すものです。

文化命令の成就は、サーバント・リーダーシップ[仕える者が指導者となれる(マルコ9・35)]の原理に支えられています。ですから、宣教は、けっして諸民族を暴力によって無理やり回心させ、その文化を破壊し、宣教国の文化と同じものに変えていくことではなく、被宣教国の文化を尊重し、神が創造された民族や文化のそれぞれの個性を生かし、さらにそれを発展させることを目指すのです。神は、すべての民族が同じ顔になることを望んでおられるのではなく、それぞれの民族や文化の多様性を十分に発揮することを期待しておられるのであり、そうするときに、神は真に栄光を受けられるのです。

もちろん、神の法に違反する要素をも手放しで認めることを勧めているわけではありません。それぞれの文化には、様々な面においてサタンの影響がありますから、キリストが弟子たちに命じられたように「わたしが命じたすべてのことを守るように教える」(マタイ28・19)ことが基本となるのは言うまでもありません。首狩りや食人やオカルトの文化をそのまま認めてしまうことはできません。むしろ、御言葉によって、それらのサタン的な風習を止めるように導くことが宣教者に求められている務めなのです。

文化命令の中核にあるのは、神の倫理的戒めです。この点に関して諸民族は多様であってはなりません。あらゆる民族や文化は、「殺すな、盗むな、姦淫するな、父母を敬え、偶像を礼拝するな…」という戒めを守るべきであり、彼らはキリストの「弟子」とならなければならないのです(マタイ28・19-20)。しかし、神の法に抵触しない事柄については、それぞれの民族や文化において多様性は奨励されるべきです。食事をする時に箸を使うか、スプーンを使うかにおいて、価値の上下はありません。神御自身が、「一人」であると同時に「三つの位格」を持っておられるように、神の本質を反映すべき被造世界(詩篇19・1、ローマ1・20)も「一致」と「多様」を併せ持つ必要があるのです。

この文化命令における、「一致」と「多様」の原則を十分に理解していなかったために、西洋の宣教が現地の文化の良い面までも破壊する傾向があったことは否定できません(ハーザー誌6月号巻頭言)。日本の宣教においても、キリスト教を受け入れることが日本古来の文化の良い面を否定することにつながる傾向があったことは、日本人が福音を受け入れ、民族の弟子化において大きなつまずきとなってきたことは事実であると思います。

天皇制の問題を考える上での鍵も、この「一致」と「多様」の区別にあります。他の文化的な問題と同様に、天皇制についても、変えるべき点と、変える必要のない点を明確に区別しなければ、否定しなくてもよい点までも否定することによって、日本人クリスチャンの民族的アイデンティティー喪失にさらに拍車をかけることにもなりかねないからです。

(1)変えるべき点

まず、偶像礼拝の要素を挙げなければならないでしょう。近代日本における天皇制は、その設立の経緯から、明治維新体制に正統性を与えるために便宜的に作られた御用思想であることは明らかです。「はじめに天皇ありき」、というわけではなく、明治政府が正当な政府であることを朝野に示すために天皇の権威を利用したに過ぎません。そしてこの権威を民衆に浸透させるために、天皇を神格化し、天地を結ぶ祭司の役割を果たさせたのであり、それゆえに、明治以降の天皇は、キリストに代わるものとなり偶像化したのです。

明治期の日本社会の背後にある思想的事情を見るならばこの偶像化の経緯は明らかになります。当時、政府には2つの相反する思想が拮抗していました。一つは、尊皇攘夷を看板とする復古神道派であり、日本国民を総神道信者にしてしまおうと国民教化を画策しましたが、大教院の解散(明治5年)を契機に後退してしまいます。もう一つは、文明開化を看板とする進歩派の思想でした。進歩派は、文部省を拠点として、明治5年に学制を制定し、学校教育を中心に理想の現実化を図ります。師範学校を開設し、東京師範学校に義務教育用の教科書の編纂を命じます。この教科書作成の目的は、日本を先進国並の一流国とすることにありました。文部省が発行した最初の教科書は、キリスト教有神論的創造論に立っていました。

明治6年発行の「小学読本」には次のように記されています。「天津神は、月、日、地球を造り、のち、人、鳥、獣、草木を造りて、人をして諸々の支配をなさしめたり。」「神は万物を創造し、支配したもう絶対者なり。」 明治7年発行「小学読本」:「神は常に、我々を守るゆえに、吾は、独にて、暗夜に、歩行するをも、恐るることなし。又、眠りたるときにも、神の、守りあるゆえに、暗き所も、恐るることなし。神は、暗き所も、明に、見るものゆえ、人の知らざる所と、思いて仮にも、悪しきことを、なせば、忽ち罰を、蒙ふるなり、人の知らざることをも、神は、能く知るゆえに、善きものには、幸を、与へ、悪しきものには、禍を与ふるなり、」(113-114 ページ)「それこの世界は、全く人の住居する為に、神の造りたるものにて、世界は、即人の住所なり、既に人の為に、此世界を造り、日あり、月ありて、物を照らし、また其目を歓ばしむるには、地上に、芳草を生じ、梢頭に、美花を開かしむ、」(139 ページ)(池田豊氏『明治時代の日本とキリスト教』より引用。旧漢字は新漢字に直してあります。)

このような進歩派のキリスト教的教育が開始されようとしていたのですが、天皇の側近にいた元田永孚らが宮内庁を動かし、明治15年に「幼学綱要」を文部省とは無関係に発行しました。これは日本中で使用させるための道徳教育用教科書でした。神武天皇、和気清麻呂、菅原道真、楠木正成などの人物が登場し、天皇への忠誠心をすべての日本人の心に植え付けさせることを目的としていました。かたや、文部省側も、編纂委員会を設け、日本にふさわしい理想的な教科書の作成にとりかかるのですが、明治22年、初代文部大臣でクリスチャンでもあった森有礼が暗殺されます。

翌年、機を見るかのように元田や井上毅らは、他の国務大臣の承認もとりつけず、文部省を通すことすらなく、自分たちで勝手に作成した原案をもとに「教育勅語」を交付しました。同時に、自由民権運動を嫌い、激しく弾圧していた山県有朋は、明治22年に第一次山県内閣を組織し、当時の文部大臣榎本武揚を退任させ、自分の息がかかった芳川顕正にすげかえ文部省を掌握します。

この時点で、日本の学校における宗教教育は、天皇を絶対者、支配者として拝む宗教のみのマインドコントロール状態と化していくのです。明治32年には、国家神道一色となった文部省は訓令を発し、学校教育における神道以外の宗教教育を全面的に禁止しました。そして、日本中にあるすべての学校という学校には、天皇・皇后の写真(御真影)を飾らせ、それに向かって礼拝することを国民の義務として強要します。これは第二次大戦終結時まで続くことになります。

明治政府誕生以来続いた2つの拮抗する思想(キリスト教的有神論対国家神道)の対決は、陰謀によって国家神道側の勝利に終わり、この新興宗教(天皇教)によってマインドコントロールされた日本は破局の道をまっしぐらに進むことになりました。

西欧社会に追いつこうとする過程で、日本は、西欧の技術は取り入れましたが、その社会の根幹に存在するキリスト教の絶対神を拒絶しました。そして、その社会的代用物として、天皇を絶対化し、地上的な外的権威を想定したところに、戦前の日本社会の最も大きな罪が存在したのです。それゆえ、私たちクリスチャンは、天皇制のもつこのような偶像的性格に大きな注意を払わなければならないのです。この点において厳しい目を向けなければ、キリスト教の天皇制肯定論はシンクレティゼーション(混交宗教化)というサタンの罠に陥ることになります。

 

(2)変えなくてもよい点

しかし、それでは、このような天皇制を廃止して、共和制にすれば偶像礼拝の問題は解決するかというと、そうとは言いきれないのです。なぜならば、共和制であっても、どのような政体であっても、キリストに代わる主権を想定するならば、それはすべて偶像になってしまうからです。

キリスト教会は、カルケドン公会議(451年)において、「キリストの二性一人格」の教理を確立しました。これは、「キリストは完全な神であると同時に完全な人間である」という教えであり、この教理において、「この地上における人間的権威はキリストだけである」という原則が確立されたのです。キリストだけが、神と人間を仲介する唯一の祭司、あらゆる人間的権威の頂点に座る王であり、それゆえ、教皇であれ国家元首であれ国民であれ、キリストの権威をさしおいて、この地上における主権者として振舞うならば、彼(彼ら)は偶像となるのです。

ですから、天皇制を廃止することは根本的な解決にはなりません。単なる人間でしかない者(たち)がキリストに並ぶ主権者として君臨してもよい、という考え方そのものを改革するのでなければ、本当の解決には至らないのです。現在の日本や世界の問題の大部分は、キリストの意見を聞かずに、人間の知恵によって法律を作り、教育を行い、政治や経済を運営していることに起因しているのです。どのような領域においても、キリストは主とならなければなりません。キリスト御自身が「わたしは天においても、地においても、『一切の』権威が与えられています」と宣言しておられるのです。神が創造されたこの宇宙の中において、ほんの一点でも(神のものでもサタンのものでもない)中立の領域があると想定し、そこにおいてキリストの主権を打ちたてる必要はないと主張する人がいるならば、その人は、キリストのライバルであり、偶像もしくは偶像礼拝者なのです。パウロが「…あなたがたは、食べるにも、飲むにも、『何をするにも』、ただ神の栄光を現わすためにしなさい。」(1コリント10・31)と述べているように、クリスチャンにとって、あらゆる事柄はすべて神の栄光を現すために存在します。

政治は、その性質上特に宗教的な領域であると言えます。なぜならば、法律は何が善であり、何が悪であるかを決定するからです。神の義の基準から離れて善悪を決定する行為は、神に対する反逆であり、アダムが犯した根本的な罪です(創世記3・5-6)。政治を宗教から切り離すことは、不可能なのです。現在政治において善悪を決定しているのはヒューマニズムという名の、人間を神とする偶像宗教です。クリスチャンは、このような偶像宗教を受け入れることはできません。私たちは、ヒューマニズムに代わって、キリストが政治における主となるように働きかけなければならないのです。

社会が、キリストの御心である聖書の教えを根本法として採用し、それに基づいて憲法や法律を作り、社会全体が神の基準を採用しない限り、その社会は偶像礼拝の社会であり、戦前の日本の社会と同じように、神の裁きを受ける運命にあります。

イギリスのピューリタン革命は、「王権神授説を唱え、自らを、法を超越した者であると宣言した」国王との戦いでした。それに対してピューリタン神学者ラザフォードは、『法は王』という本を著して、「国王であっても法律に従わねばならない」と主張しました。ここにおいて真の議会制民主主義が誕生し、人々は大きな社会的自由を獲得しました。私たちが今日享受している政治的な自由は、過去、歴史の中でクリスチャンが血を流して勝ち取った遺産に負っているのです。しかし、近代社会にヒューマニズムがはびこるようになり、神が否定されるようになると、それまで法律の基礎として広く受け入れられてきた聖書法も否定されるようになり、「法律とは社会の構成員の主観によって作られるものである」と見られるようになりました。この傾向は、進化論の影響が社会制度に及び始めた20世紀に入ってからいっそう顕著となりました。その結果、現代の社会は確固とした基準を失い、相対主義の泥沼に陥り、迷走と堕落の一途をたどっているのです。

クリスチャンは、地の塩、世の光であり(マタイ5・13、14)、世の堕落を食い止め、諸国民を正しい道に導き、彼らをキリストの弟子とする使命を与えられています(マタイ28・19-20)。聖書は、私たちが傍観者になることを認めていません。私たちはサタンに対抗できる唯一の勢力なのですから、もし私たちが「世は堕落するものだから仕方がないのだ」と言って世を放置するならば、サタンはやりたい放題のことをするのです。宣教によって人々にバプテスマを授け、多数の弟子を生み出し、彼らにキリストの教えを守るように導いて、クリスチャンが国政をも動かせる勢力になるのでなければ、日本も世界も破局の憂き目に遭う以外にはありません。世界を変えることができるのは、人間の力ではなく、人を内面から生まれ変わらせる聖霊の力以外にはありません。ノンクリスチャンは、人間の知恵によって、制度を変えて解決の糸口を見つけようとしていますが、人間の小ざかしい知恵ではサタンの策略に対抗することはできません。彼らは行き詰まっています。

天皇制そのものが問題なのではありません。天皇自らがクリスチャンとなり、キリストを主権者として認めれば問題はないのです。イギリスの国王のように、「あなたが来られた時には、この王冠をお返しします」と告白できればよいのです。もし、王制そのものが聖書的ではないのであれば、神はイスラエルの王制を廃止するように、民に対して命令したことでしょう。しかし、神は王制の存続を認めておられました。民主制や共和制に利点があるのは、権力を分散し、互いにチェックを働かせて、単一の人間のわがままを防止するからです。王制よりも民主制のほうが一般に危険が少なく(民主制のワイマールからヒトラーが出たので「危険がまったくない」とは言えない)、よりすぐれた制度と言えるのですが、今日、日本の政治制度において天皇は単なる象徴でしかなく、実際は、立憲議会主義によって政治が行われているのですから、王制そのものを廃止することにそれほど意味があるとは思えません。

聖書ははっきりと、「神を恐れ、王を尊びなさい。」(1ペテロ2・17)と述べているのです。私たちクリスチャンは、天皇を尊び、天皇家の救いのために祈るべきです。あらゆる権威は神が立ててくださったのですから、天皇を嫌ったり蔑むようなことがあってはクリスチャンに祝福はありません。祝福は、立てられた権威を敬うことを通して神を敬う時に与えられるのです。上にある権威に対して服従できなければ、私たちに権威は与えられません。そのために、私たちから影響を受ける人々も少なくなり、キリスト教はいつまでたっても少数派に留まってしまうのです。

「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。したがって、権威に逆らっている人は、神の定めにそむいているのです。そむいた人は自分の身にさばきを招きます。」(ローマ13・1-2) 

「人の怒りは、神の義を実現するものではありません。」(ヤコブ1・20)

 

 

 

 

明治期の教科書を巡る問題については、池田豊氏の貴重な論文『明治時代の日本とキリスト教』(『創造』Vol.1. No.3, 創造科学研究会, 1997年)を参考にさせていただきました。ここに御礼を申しあげます。

 

 

 

 




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