クリスチャン政党、等について

 

<ご質問>

 富井師は、「アメリカにおいて最も大きなグループとなりうる4千万のクリスチャンが政治に対して積極的な活動をすれば、アメリカは大きく変わります。そして、その影響は全世界に及びます。アメリカのクリスチャンを弱体化させることは、サタンの大きな戦略です。」と述べておられましたが、現在のアメリカが大きく変われば、その影響は全世界に及ぶ、当然日本にも大きな影響を及ぼす思うのですが、クリスチャンによる政党の結成は聖書的でしょうか?

 もし是であるとするならば、日本におけるクリスチャン政党、キリスト教政党の成立の可能性についてはどう思われますか?現在も、確か「キリスト者政治連盟」」とか言うのがあると思いますし、かなり前の参議院全国区の選挙に、「日本キリスト党」とかいう政党があったように記憶していますし、クリスチャンの人口比率1%の国情にあって、現実にはキリスト教政党が当選者を出していないし、厳しいものがあると思うのです。民主党や社民党内にクリスチャンの政治家がおられるとも聞いていますが、少数のクリスチャン政治家おられるのが現状だと思います。

 日本のキリスト教化のためにクリスチャンは積極的に政治に関わっていくべきでしょうか?キリスト教政党の是非、その成立の可能性、またアメリカが大きく変わる事が、日本の政治、経済や社会に対して具体的にどのような影響を及ぼすのか、富井師のご意見を聞かせていただきたいと思います。

 

<お答え>

 権力はすべてキリストに属します。

 「天においても、地においても、私には一切の権威が与えられています。」(マタイ28・18)

 それゆえ、この世界のあらゆる国家の権威はすべてキリストに従属しています。キリストは、自分を裁くピラトに向って、「上から与えられたのでなければ、あなたはわたしを裁く権威はありません。」(ヨハネ19・11)と述べたのはこのことを示しています。

 それゆえ、もし国家権力が、キリストの権威に反抗するならば、その国家は神の裁きを受けて滅びます。

「また誰でもこの石(キリスト)の上に落ちる者があれば、その人は粉々に砕かれ、この石が人の上に落ちれば、その人を粉みじんに飛ばしてしまいます。」(マタイ21・44)

 このように、権威とか権力がすべてキリストに属するならば、国家の義務とは、「キリストに服従すること」以外ではありません。

 クリスチャンは、国家の権力がキリストに服従するように働きかけるべきです。(*)(**

 それは、武力とか暴力で革命を行うというのではなく、現在神によって立てられている民主主義の制度を尊重することによってです。民主的な手続きにしたがって、つまり、選挙によって代表者を国会に送り、その影響力を増していくこと以外に方法はありません。

 ですから、クリスチャンが、政党を作って、一致団結して国政を変える必要があると思います。

 もし、クリスチャンが本気になって政治を変えようとするならば、政党を作ることは可能でしょう。

 ただし、現在のキリスト教は、「この世はサタンの世であり、変革することは不可能である。」と考えており、再臨のキリストによる直接的な解決を求めているので、本格的に政治にかかわる人は少ないでしょう。

 まず、神学を変える必要があります。

 (1)「御心が天で行われるように地上でも行われますように」との主の祈りを実現するためには、福音によって人間の魂を神と和解させ、和解した人々が地上の諸制度に働きかけてそれらを変える必要があります。神と和解した政治を作るのは、神と和解した人々しかできません。「この世界を変えようとするな」との今日の神学では、主の祈りを成就することはできません。

 (2)「この世を変えることは不可能である」との悲観主義は、キリスト教とは無縁です。「神の国は歴史の中で発展し、完成する」との楽観主義を採用する必要があります。キリストの再臨は、「すべての敵があなた(キリスト)の足台となるまで」(使徒2・35)起こりません。つまり、歴史の中において神の敵(サタン)は「クリスチャンの活動によって」征服されると聖書は繰り返し証言しています。

 (3)「聖書は魂のことしか述べていない。政治については、この世の原理に基づいて行うべきだ」との考え方に従うならば、どんなにクリスチャンの政治家が現われても、無意味である。この世の原理に基づいて政治を行うならば、そのクリスチャンは、この世の原理に基づく政治しか行えないのです。この世界に中立は存在せず、あらゆるものは宗教的です。現代人は、「政治は宗教とは無関係であり、中立の領域である。」と信じています。しかし、政治は「何が善で、何が悪か」を決定するので、不可避的に宗教的なのです。中絶や安楽死を合法化することは、生命を左右する権威は神だけにあるという聖書の原則と矛盾するので、「反キリスト教」となります。法律は、不可避的に宗教的なのです。それゆえ、あらゆる問題について、神の御心であるかどうかをチェックする必要があって、そのチェックが不要な領域はこの世界には存在しません。神が至高者であり、万物の創造者、統治者、権力者であるならば、「神が支配できない領域」を一つでも残すことはできません。あらゆることは、聖書に照らして判断されるべきであり、クリスチャンの政治家は、聖書に精通し、ヒューマニズムとどこがどのように違うかについて熟知しなければなりません。聖書を学ぶことによって、聖書的な政治とはどのようなものであるかを詳しく知る必要があります。そうでないと、現在の社会科学の世界において優勢な考えを取り入れたり、世間的に受けのよい政策を選択してしまって、彼(または彼女)がクリスチャンである意味がなくなってしまいます。

 

 

 「アメリカが大きく変わる事が、日本の政治、経済や社会に対して具体的にどのような影響を及ぼすのか」という御質問についてですが、アメリカのクリスチャンが聖書に基づいて政治を行うならば、当然、日本の政治も、知らず知らずのうちに聖書の影響を受け、経済やその他の領域も影響を受けます。

 例えば、アメリカにおいて学校教育がヒューマニズムから解放されるならば、日本のカリキュラムにも影響があるでしょう。進化論が当然のこととして教えられることも少なくなるでしょう。ポルノが禁止され、姦淫罪が適用されるようになれば、社会の風紀は改善されるでしょう。その影響は日本にも及び、街頭や書物、新聞からポルノが消え、少なくとも、そのようなものに触れたくないと思っている人々が汚れたものを見る機会も少なくなるでしょう。経済は、マルクス経済学から解放され、自由な企業家や市民が、高額の税金から解放されて、個人のイニシアチブを発揮できる機会が増えるでしょう。

 

 

*)政治権力に対して影響力を持つことがなければ、本当の意味においてクリスチャンの使命が達成されたということはできません。国において、最も強大な権力を持っているのはやはり、政治的な権力です。国政、軍事、司法、経済などのあらゆる面に政治的な権力がからむのは当然であり、それゆえ、クリスチャンがこの分野において無関心であるならば、キリストの御国拡大、日本国及び世界諸国の弟子化の大きな部分においてクリスチャンは進歩することができません。

 

**)国家をキリスト教化するとは、教会が国家の上に立つという意味ではなく、神の法が国家の上に立ち、国家の法律が神の法にのっとったものになるということなのです。教会は、この聖書に示された神の法の原理を国家に示す責任があります。かつてイスラエルの議会には、レビ人が顧問として参席し、決定が聖書に合致するように指導していました。日本の政治が聖書的になるように、クリスチャンはクリスチャンの政治家を国会に送って、働きかけさせる必要があります。

 

 

 

 




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