陰謀説について

 

 

<ご質問>

「キリスト教再建主義 影響力を増しつつある神政統治主義」を読みました。著者のフレデリック・クラークソンという人はどういう方ですか。無神論者?ジャーナリスト?反再建主義の立場のクリスチャン?

 

<お答え>

フレデリック・クラークソンは、宗教右派グループ(キリスト教同盟から合同教会まで)について幅広く取材するライター、講演者です。著書には、『キリスト教右派への挑戦:活動家ハンドブック』(共著)、『永遠の敵意:アメリカにおける民主政治と神政政治の戦い』があります。反再建主義の立場に立つヒューマニストでしょう。

 

<ご質問>

フレデリック・クラークソンは、「R・J・ラッシュドゥーニーは、『歴史を陰謀の歴史として見る見方は、正統的キリスト教の基本的な歴史観である』と語っている。陰謀史観は、合衆国のキリスト教右派が唱えている首尾一貫した理念である。」と書いているのですが、もしそうであれば、正統的キリスト教の基本的な歴史観として、歴史を陰謀の歴史として見るとはどういうことなのでしょうか?

富井師は、最後の後書きで、「再建主義が述べてもいない偏向した陰謀説をひきあいに出して再建主義について悪い印象を与えようとの意図があると思われますが、アメリカの反再建主義者が再建主義をどのように評価しているか知ることも重要だという意味で載せたものです。」と述べておられますが、聖書に基づいた正しい陰謀説と偏向した陰謀説があるのでしょうか?日本にも、さまざまなユダヤ陰謀論(小石泉氏、太田龍氏、山陰基央氏、宇野正美氏など)がありますが、富井師はこれらのユダヤ陰謀論をどう評価されますか?

 

<お答え>

この歴史は、神とサタンとの戦いの場であるというのが聖書の主張です。歴史が始まった直後からサタンは陰謀をめぐらして、被造物のかしらである人間を堕落させ、世界を乗っ取ろうとしました。現在でも、サタンは自分が選んだ人間を通じて世界の乗っ取りをもくろんでいます。もちろん、十字架上において、サタンの敗北は決定的となったのですが、まだ悪あがきをしているというのが実情です。クリスチャンは、サタンが乗っ取った領域を回復するために神に選ばれた人間であり、十字架におけるキリストの勝利の旗をもって、サタンの王国に戦いを仕掛けています。しかし、それは簡単な戦いではなく、常にサタンの陰謀と直面しなければなりません。福音が伝えられるとすぐにサタンがやってきて、その人から御言葉を取り去ってしまいます。しかし、神に選ばれた人は、福音を自分のものとし、キリストを信じて、成長し、神の兵士として勇敢に戦います。サタンは、クリスチャンの意志をくじいて、自分の邪魔をさせないように、敗北感や挫折感を与えます。また、悪人を送ってクリスチャンの経済を破壊したり、社会的地位や評判を落とそうとします。そのような陰謀の中でも、クリスチャンは必ず勝利し、その持ち場持ち場での義務を遂行することにより、御国を拡大し、全世界を回復することができます。なぜならば、そのように神が歴史の全過程を予定されたからです。神には時間の制約がないので、歴史の全過程がすべて目の前に広がっています。我々が、博物館で少し離れたところから展示された絵巻物を眺めるように、神はその始まりから終わりまですべて同時に眺めることができるのです。神は、すでにすべての出来事を予定され、神の陣営の勝利を予定しておられます。歴史は、その決定済みのストーリーが決定どおりに着々と進む過程なのです。だから、正統的キリスト教の陰謀説は、神の勝利を前提とした陰謀説なのです。一般の書店に出まわっている陰謀説のほとんどは、サタンや悪の勢力の歴史的勝利を前提とした陰謀説であり、それゆえ、聖書的な陰謀説とは異なります。サタンの陣営が神の陣営を凌駕し、最後に反キリストが勝利するとの陰謀説は、サタンが編み出したウソです。また、たとえ神の勝利を前提とする陰謀説であっても、サタンの力を過大に描いている陰謀説もサタン的です。サタンは自分を大きく見せようとして、病気や事故や革命などを引き合いに出して自分の力を誇示しようとします。しかし、聖書は、神の方が圧倒的に強いのであり、たとえサタンが暴れるようなことがあっても、それは、神の許しがあったからであり、神がサタンの行動もすべてコントロールしているというのが聖書の主張です。

 

<ご質問>

フリーメーソン、イルミナティーという名前が出てきましたが、実際、どういう組織なのでしょうか?聖書に、そういう組織の出現の預言なり、何か指し示すものがありますか?

 

<お答え>

イエスは、マタイ5・14−16において、「あなたがたは世の光であり、その光を人々の前に輝かしなさい。」と命じておられます。キリスト教文明は、「公開契約open covenant」の原則に基づいて築き上げられており、その果実である立憲主義(constitutionalism)は、この原則に従っています。聖書における儀式は、公然と行われるもので、洗礼にしても、聖餐にしても、隠れて行われることはありません。福音は広く万人に提供されています。これが神のなさる方法なのです。秘密の知識とか秘儀などは、聖書とは無縁の世界です。神のなさる方法がこのようなものであれば、その敵の方法は当然、その逆だということになります。オカルトの語源は、ラテン語のocculoで、「隠す」という意味です。オカルトの世界は、自分たちを隠す世界です。オカルティストは、自分の財産、技術、知識を隠そうとします。それゆえ、秘儀や秘密の知識を重んじるフリーメイソンやイルミナティなどがオカルトではないということはできないのです。メイソンがよく自分たちは人畜無害の互助組織のようなものであるといいますが、ステージが進むにつれて奥義が開けていく秘密結社特有の位階制度がある以上、その言葉をそのまま受け取ることはできません。ゲイリー・ノースの"Conspiracy-A Biblical View"に聖書的陰謀説について詳しく説明があります。いずれ翻訳してみたいと思っています。

 

 

 

 

 




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