貪欲は社会を破壊する
第十戒「隣人のものを欲しがってはならない。」との戒めは、社会の基礎を形成する。
もし、この戒めが守られないと、社会はバラバラになり、まとまりがつかなくなる。
例えば、お金を払うつもりもないのに物を購入したり人を雇うことは「他人のものを欲しがる」という「貪欲の罪」である。
物を作って売っている人、労働を提供した人は、お金が払われないために、その間の労働や製作にかかった費用や時間は完全に報われないことになってしまう。
その金額が大きければ、会社が傾いたり、その人が生活できないという事態も起こる。
社会は、支払いの約束という基礎の上にしか成立できないのであるから、労働や商品に対して代価を支払わないということは、相手を破壊するだけではなく、社会そのものをも破壊する。
人々が堕落し、このような貪欲が社会においてあたり前の状況になるならば、その社会は信用取引ができなくなり、信用供与のためのシステムに多くのお金を遣わなければならなくなるだろう。
人々は、会社で仕事をしたり、アルバイトをするたびに、支払われなかった時のことを考えて保険に入らなければならないということにもなるかもしれない。注文を受けて商品を製作しても、支払いがなされないという恐れがあまりにも強くあれば、そのための保険も登場するかもしれない。L/Cのようなものが、日常生活に必要になるかもしれない。
この保険の費用は、当然商品や賃金の上に乗せられるので、商品や賃金の高騰を招くだろう。
つまり、貪欲を許容することによって、社会全体が不要なお金を払わなければならなくなってしまう。
罪は、経済の足を引っ張る最大の敵である。
そのことに目がいかない愚かな商人は、ズルいことをやって儲けた気分になるかもしれないが、結局、物価の高騰やセキュリティ費用の上乗せという形で自分に跳ね返ってくる。
だから、神の法を守らない人間はバカなのだ。