人間は被造物であると自覚すべきである

 

 ヒューマニズムの刑罰観の主な特徴は、「教育」である。

 刑罰を科すのは、犯罪者を更生させるためである。

 刑務所制度は、主にこのために存在する。

 

 しかし、聖書の刑罰観は、「回復」である。

 聖書律法は、罪によって傷ついた対神関係、対人関係を元通りにすることを求めている。

 

 この世界は、神によって創造され、神の目的のためにのみ存在し、国家はその領土の中に住む人々の社会を神の目的にかなうように整える使命を与えられている。

 

 それゆえ、国家は犯罪者をして、被害者への償いのために働かせなければならない。

 

 しかし、教育を主目的とし、被害者への償いをないがしろにするならば、国家は本来の機能を果たしていないので、衰退せざるを得ない。犯罪者と被害者の間に償いをさせない社会は次第に崩壊し、国家は、統治者として神への責任を果たしていないので、神から処罰される。

 

 神は、自分の意思を忠実に行わない統治者を廃位させ、それを忠実に行う統治者にすげ替える。

 

 「柔和な者は幸いである。地を継ぐからである。」との御言葉は、神に対して謙遜であり、忠実に神の御心を行う者に統治権が移行することを表している。

 

 これはあらゆる権威について言うことができる。

 

 この世に存在するあらゆる権威は、自覚するにせよ、自覚しないにせよ、神によって直接に任命され、立てられている。

 

 「神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。」(ローマ13・1)

 

 今日心理学が流行しているのは、ヒューマニズムが正しい解決を与えてこなかったからである。

 

 ヒューマニズムは、人間の精神的な問題を異なる原理で解決しようとする。それは、人間の問題の責任を環境に転嫁する。

 

 「あなたが悪いのではない。あなたの環境が悪かったのです。過去を振り返ってみてください。あなたの両親はどのような人でしたか?あなたは経済的に苦しい生活を強いられていませんでしたか?」

 

 聖書は、環境が問題なのではないと言う。

 「わたしではなく、この女が…」とアダムは責任をエバになすりつけた。エバは、「わたしではなく、このヘビが…」と責任をサタンになすりつけた。

 

 しかし、神は「問題はあなたがこの実を取って食べたことにある」と指摘された。

 

 問題は、あくまでも契約違反である。個人が神との契約に違反したことがもっとも重要な問題なのだ。もし環境に責任を転嫁できるならば、「そもそもこのヘビを造って、エデンの園に野放しにした神が悪い」ということになる。事実、心理学は、神を悪者にする。

 

 このような環境決定論に汚染された精神は、際限無く他人の責任を追及し、目が自分の責任に向うことがない。

 

 精神に問題を持つ人の特徴は、「他罰志向」である。彼らは、巧妙に理屈を捻出して誰かを悪者にしようとやっきになる。しかし、原因を他に求めても際限がない。

 

 彼らの問題は、神と人への義務違反にある。

 

 人はそもそも、この世界を統治するために創造されたので、労働は避けることができない義務である。労働を回避するならば、精神がおかしくなるのは当然である。自分の内側を反省し、過去の体験をいくらほじくりかえしてもいかなる実りも得ることができないのは、そのような内向きの者として人間は造られていないからである。

 

 人間は、外に向って、世界に働きかけることによってのみ精神を正常に保つことができる。

 

 精神に問題を持つ人々が、精神治療を受けて改善されない主要な原因は、労働を回避するというズルイ心に治療者がメスを入れようとしないからである。

 

 また、自分が犯したまま解決がついていない罪の責任をとっていないからである。自分とその相手との間には大きな傷があるにもかかわらず、相手に謝罪せず、償いもしていないからである。

 

 人間の主要な責任は神に対するものだ。神に対して罪の責任を果たして、それに対して償いをしていないならば、どんなに環境が整って、経済的、物質的に豊かになっても、精神が正常に戻ることはない。

 

 ヒューマニズムの心理治療は、このような神に対する償いを回避させるためにサタンが用意した代替物の一つである。その意味において、それは、この世のすべての宗教と同レベルなのだ。神に対する償いはキリストの十字架による償いを受け入れる以外にはない。心理治療によって、自分を裁いたり、他人を裁いたり、環境を裁いたり、大声を出して自分の怒りや本音を誰かに向ってぶつけても、それは、自分の善行によって償いをしようという偽りの救済策に過ぎない。

 

 サディズムやマゾヒズムは、自分の罪を帳消しにしようとする一つの絶望的な救済策である。

 

 人間は、被造物である。被造物として自覚することがなければ、正しい解決は得られない。創造者に対する責任回避は、無限の悪循環を生むしかない。

 

 

 

 

 




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