文化を変えるのでなければ真のリバイバルではない
戦争中の各宗教を見ると、新興宗教は、ほとんどみんな右ならえで政府に追従しました。
なぜかと言うと、新興宗教そのものが、人間の幸せのために存在することを公言しているからです。
神が中心であるとなれば、殉教もあるでしょうが、人間の幸せのために存在する宗教ならば、その時々の政府に尻尾を振ってついて行ってもおかしくはありません。
実は、アルミニウス派のキリスト教もこれと同じ性質があります。
これは、この地上におけるキリストの主権を強調しないからです。
ラッシュドゥーニーが
Arminianism (in Great Christian Revolution, Ross House Book)において述べていますが、アルミニウス派は、カルヴァン派と比べて、当時の為政者(16世紀のヨーロッパ)の受けがよかったのです。なぜならば、抵抗しないから。
ア派は、ローマ・カトリックと同じように、ギリシヤ二元論の影響を受けており、この地上のことと、天上のこととを区別して、クリスチャンは、天の御国を求めるのであって、この地上は関係がないと考えます。
これは、今日、ディスペンセーショナリズムという形で、福音派を支配していますが、為政者にとっては都合のよい、彼岸主義です。
しかし、カルヴァン主義は、この地上を支配せよとの「文化命令」を重視します。
だから、カルヴァンとかノックスなど、カルヴァン派の人々は、政治から何からすべてを変えようとしました。
リバイバルと叫ばれていますが、生活のすべての領域を変えようとしないキリスト教は、絶対に真のリバイバルは起こりません。
たとえ起きたとしても、それは、まがいものです。
かつてヨーロッパを変えて、近代を切り開き、それに続いて、世界の文明をすべて変えてしまった、あの宗教改革のリバイバルのように、政治から経済から科学からあらゆるものに影響を与え、文化を変えるキリスト教でなければ、この世界に強烈な影響を与えて、今日の世界を混沌から救い出すことはできないのです。
そういった意味において、クリスチャンは、子どもの教育において、世界全体を支配することを視野に含めたキリスト教を子どもたちに伝えなければならないのです。
01/06/29