奇跡は今日起こらないという異端
今日、奇跡はない、預言もない、癒しもない、瞬間移動もしない、超常現象もない…
こういうのを信仰とは呼ばない。
神は、聖書の時代においては、そのようなことをやったが、今日ではそのようなことはしない、という考えかたは、異端である。
なぜならば、「神の不変性」を否定するからである。
神は、昔は驚くべき奇跡を行って人々を救ったが、今日ではそのようなことはしない。昔は病人を癒したが、今日ではそのような癒しはしない。
じゃあ、神は昔はあわれみに富んでおられたが、今日ではあわれみを失ってしまったということなのか?
おいおい、である。
「いやいや、あわれみ深さは同じだが、その表し方が違う。」と?
じゃあ、治ることを求める不治の病人が目の前にいて、昔はすぐに癒すことをされたが、今日では我慢することを命じることで愛を表すことにされたと。
昔は、悪霊を追い出すことで哀れみを表されたが、今日では、悪霊に取りつかれた状態に甘んじることを命じることで哀れみを表しておられると?
冗談でしょ。
今日の教会は、異端になった。
ヒューマニズムにいい顔をしたい、常識人と思われたいがために、神の力を隠すようになってしまった。
教会人すらも、宇宙を閉じられた系であると考えるようになった。
目に見えることしか信じないならば、ノンクリスチャンと同じである。
信仰によって神は不可能なことを可能にしていただくというのでなければ、それはクリスチャンではなく、ヒューマニストなのだ。
今日、瞬間移動がないとどうして言えるのか?
もし反論するなら、それを聖書から証明していただきたい。
それは、昔の話しで、今の話しではないというなら、どこに「これは昔だけの話しです」と書いてあるのか?
聖書からはっきりと示すことができなければ、あなたは傲慢なのだ。
あなたは、理性至上主義者なのだ。
あなたは、悔い改めなければならない。