死や不安の解決法

 

 言い知れない不安や孤独、絶望、生きることへの恐れ…、死の恐怖の唯一の原因は、不信仰です。

 この世界は、「生命の根源」であるキリストによって創造されたのですから、「死」や「不安」は、この世界において「異物」です。

 それらは、そもそもこの世界に馴染まないのです。

 しかし、実際に、「死」や「不安」はありますし、そのワナに陥る場合がよくあります。

 死や不安をもたらすのは罪です。罪は刑罰を生み出し、それゆえ人を不安にします。しかし、キリストがその刑罰を身代わりに負ってくださったので、私たちはキリストを信じるときに、その刑罰を受ける必要がなくなったのです。ですから、恐怖も不安も、死への恐れももはや無用です。私たちは、完全に生命の国の中に入ったのですから、恐れや不安などと共存する必要はありません。

 

 ただし、それでも執拗に不安や恐怖が襲ってくるならば、それは不信仰が原因です。不信仰になると、神の守りが期待できなくなり、それゆえ、この宇宙から神が消え去って、もとの木阿弥になってしまいます。

 

 不安や恐怖は、サタンが作り出した幻影に過ぎません。

 我々が、神への信頼を失ったときに、サタンは不安を心に入れて、人間を孤立させます。孤立した人は、ただひたすら不安の中で堂堂めぐりをしはじめます。建設的ではない事柄に埋没し、毎日悩みだけに明け暮れます。

 

 これは自分の不安や恐怖にとらわれた奴隷の状態です。

 

 キリストは、奴隷の鎖を断ち切ってくださいます。キリストに信頼してください。そうすれば、キリストはサタンがあなたをぐるぐる巻きにした鎖を断ち切ってくださいます。信頼という斧をキリストから受けとってください。

 

 

 

 

 




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