愛とは、「裁きを遅らせること」である
聖書の神は愛の神ではないんですか?愛の神が地獄を造るでしょうか。愛の神が人を地獄に投げ込むということがあるでしょうか。
こういった質問をする人は多いだろう。
答えは簡単である。
「地獄から救ってくれるから愛の神なのだ。地獄がなければ愛を示すことはできない。」
もし、殺人を犯した者も、殺人で殺された無実の人も、死後にまったく何の清算もなく、同じ天国に住んでいるならば、それこそ、「神様、あなたはどうしちゃったんですか?」と聞きたくなる。
愛とは、「裁かないこと」ではなく、「裁くのを遅らせること」である。
もし裁くことがなければ、神は「混沌の王」である。違反があってもそれを取り締まることがなければ、警察は無用の長物であり、日本を滅茶苦茶にする張本人である。
秩序を維持したいならば、違反があれば、絶対に取り締まらねばならない。
だから、愛とは、「裁かないこと」ではない。
愛とは、「裁きを遅らせること」である。
すぐに裁くのではなく、忍耐して悔い改めを待つことである。