戦士の士気をくじく終末論
<ご質問>
プレ・ミレは諦めの終末論であるというのはおかしいと思います。プレ・ミレの人々でも、社会改革に立ち上がった人々はたくさんいます。たしかに、私たちは、近い将来に反キリストが世界を支配するという未来像を持っていますが、しかし、そのような未来があったとしても、現在の自分の置かれた場所で努力するのが務めだと考えているのです。
<お答え>
プレ・ミレの終末論と、プレ・ミレを信じる人々の実際の生活を区別する必要があります。たしかに、私の知っているプレ・ミレの牧師は、山谷でホームレスの人々のために生涯を捧げて頑張っています。
私が述べているのは、プレ・ミレの人々の実際の生活についてではなく、プレ・ミレが提唱している原理を首尾一貫して現実の生活に適用するならば、どのような結果が生まれるのか、という問題なのです。
どのような立場でも、その立場が現実に実を結ぶまでは時間がかかります。進化論を信じているからといって、進化論の学者が全員、獣のような行動をしたり、弱肉強食の原理を生活に適用するとは限りません。
しかし、思想は必ず実を結ぶので、人間は何を考えているかということは必ず生活の中において現われます。
プレ・ミレのように、サタンの陰謀が教会を打ち負かし、歴史の中でキリスト教は衰微して行く運命にあると考えるならば、当然、歴史の中においてクリスチャンが世の光、地の塩になって働くべきだという考えも衰退して行きます。
戦争を行うときに、将軍が兵士に向って「我々は、この戦いにおいて必ず負ける。負けることは最初から決まっているのだ。この運命を変えることはできない。しかし、全力を尽くして戦おうではないか。」と言って士気を高めることはできません(自殺志向者や死の美学を信じる人々を除いて)。
また、国民に向って、「この戦争は負ける運命にあります。わが軍は、ほとんど壊滅的な打撃を受け、我々の努力は水泡に帰し、国土は敵軍によって蹂躙され、無数の人々が虐殺されるでしょう。」と言う政府が、親たちを説得して息子たちを戦場に送ることはできません。
これまであらゆる軍隊、あらゆる政府は、戦争を遂行する際に、「我々は必ず勝利するのだ!」と述べて、兵士や国民の戦意の高揚のために努力しました。
人間ですらこのレベルの心理を理解しているのですから、神がそうなさらないわけがありません。
聖書において、どこに神が人々の意気をくじくようなことを言われたでしょうか。もし聖書の神が「全世界の国民を弟子としなさい。やっても無駄だけどね。」といったならば、それは、神ではなく、サタンです。こんなふざけたことを言うのが神ならば、だれもそんな宗教は相手にしなかったでしょう。そして、キリスト教はとうてい世界宗教となることはできなかったでしょう。
キリスト教の歴史は、ポスト・ミレの歴史なのです。古来、宣教師たちは、「全地は神の御国となる」という信念を持って、迫害に耐えながら不撓不屈の努力を傾けてきたのです。
キリスト教の主流終末論は、ポスト・ミレであり、プレ・ミレは一部のセクトや異端者として現われたに過ぎませんでした。教会は、この百年余りの間に蔓延ったこの自殺的終末論から解放される必要があります。