キリスト教と現代科学教、どちらが首尾一貫して世界を解釈できる?
現代科学の迷信は、宇宙内において起こることは、すべて自律的に起きている、ということである(このように信じる人々を現代科学信奉者と呼ぶことにする)。
例えば、ものが下に落ちるのは、神とは無関係に、引力の法則にしたがって、下に落ちるのだ、と考えている。
神は、この過程においていっさい干渉はしていない、と。
しかし、現代科学は、この宇宙内において起こることは、すべて自律的に起きているということを証明できない。なぜならば、現代科学は、経験科学だからだ。
経験科学は、帰納法的に知識を獲得しようとする。データを集めて、仮説を立て、実験をして、その真偽を確認する。
しかし、科学者はこの世に起こるすべてのデータを集めることはできない。あくまでも、彼らが発見した法則は、過去の一部のデータと、実験して得られた少数のデータだけである。
あらゆる場合に適用できる法則など、土台、得られるわけがないのだ。もし、得られるというならば、それでは、
1億年後に、3億光年離れた○○星において、同じ実験環境を作ってそれが成り立つことをどうやって証明するのか。誰も、一億年後にそれが同じように成り立つかどうか確認などできない。
つまり、科学が発見したとする法則は、「あらゆる」ケースについて言えるとは口が割けても言えないのだ。
このように、人間の知識は有限であり、この知識によって、無限のことについて判断することなどできない。
だから、神の存在について現代の科学は、コメントすることなど一切できない。それは、科学の扱う範囲を逸脱している。
では、神が万物に関与しているかどうか、という問題についてはどうだろう。
創世記によれば、神は万物を創造された。そして、万物を動かすために、法則を定められた。物理法則、化学法則などすべての法則を定められた。
創造の前に、何等かの法則が自律的に存在したわけではなく、あくまでも神は「無から」世界を創造された。
それゆえに、自然界に働く法則は、すべて神が定めたものであり、神の主権の下にある。
つまり、法則はすべて「神のしもべ」なのだ。
もちろん、法源(法を与える者)は、その「しもべ」である法を自由にコントロールできる。
普段は、しもべに任せている仕事も、ある時は、主人が自ら行うこともある。
例えば、ある物体を放れば、引力によってそれは下に落ちるが、ほとんどの場合、引力の法則にまかせていたこの物体の運動の仕事を、一時的に神が違う力を働かせて止めて、物体が下に落ちないようにすることも可能なのだ。
現代科学信奉者は、「物体については、
100%自然界の法則が働く」と考える傾向があるが、100%働くかどうか、どうしてわかるのか。神が、自ら手を差し伸べて、法則を変えたり、ストップしたりする可能性をどうして排除するのか。
彼らは、神がそのようなことをすることは一切ない、と証明できるか?
我々は、こんな迷信を信じようとしない。
神は、自然法則についても主権者である。自然法則も被造物だからだ。
現代の科学は、「閉じられた宇宙」という迷信を作り上げ、神を宇宙から排除している。だから、目の前に広がる複雑な生物が、自然に進化してできたなどという迷信を作り出さざるを得なくなってしまったのだ。
生物を見て、素直に理解する人は、「神の創造だ」と判断できるのだが、現代科学信奉者は、すでに「宇宙は閉じられた系であり、神などの超越者からの介入はなかった。」という前提を立ててしまったから、「すべて、宇宙の中だけで偶然にでき上がった」という苦しい言い訳をする以外にはなくなってしまったのだ。
「宇宙は閉じられた系であり、神などの超越者からの介入はなかった。」というのは、あくまでも「信仰」である。つまり、現代科学も、一つの宗教なのだ。
だれも「宇宙は閉じられた系である」ことを証明なんてできないから。
現代は、ヒューマニストが、科学の領域を支配しているから、人々は、ヒューマニストの意見しか耳に入れようとしない。
しかし、歴史的に言えば、近代科学は、その根源をキリスト教に置いている。キリスト教の世界観の背景がなければ、近代科学など起こり得ない。
我々は、「宇宙は閉じられた系であり、超越者の介入などない」とする、この新興宗教から解放される必要があるのだ。
そうしないと、進化論などまがい物を信じ、生物も人間も偶然の積み重ねによって生まれた、だから、普遍的倫理など存在しないのだ、という結論せざるを得なくなってしまう。
普遍的倫理がなければどうだろうか。
環境適者だけが残り、環境不適者は滅びるという法則だけが唯一の倫理法則であるとすればどうだろう。人が見ていなければ何をやってもよいと考える人間のほうが勝ちだ。
こんな教えを信じていたら、世の中は滅茶苦茶だ。
頭をクリアにして考えていただきたい。
キリスト教と、現代科学教とどちらが、首尾一貫して世界を解釈できるかを。
02/02/01