環境保護論という新宗教
リサ・タンナー
過去数十年間にわたって、汚染の減少、リサイクリングの促進、森林産業や鉱山産業の廃絶を叫ぶ環境保護運動家たちの声は日増しに強くなっている。こういった声から、『地球第一!』、『シエラ・クラブ』、『オードボン・ソサイエティ』のようなグループ、そして、環境保護局が生まれた。彼らは、砂漠化法や、絶滅種法のような法律の制定に向けて活動を続けてきた。これらのプログラムが実行に移されるにつれて、環境を扱う人々の行動に対して、政府の管理が強化されていった。政府の管理が厳しくなったために、人々は、自分の土地の上に建物を建てることができなくなったり、その土地を有効利用したり、私有林においても公有林においても木材を伐採することができなくなってしまった。
環境保護論者たちが地球を「救う」方法を理解するには、彼らの基本的な信念に光を当てなければならない。大多数の一般人の期待に反して、彼らが地球環境保護を訴えているのは、人間のためではなく、むしろ、人間から地球を「守る」ためなのだ。アル・ゴアやデイブ・フォアマン、デイビッド・ブラウワーのような環境運動提唱者たちは、この問題について、次のように述べる。「我々の文明は、実のところ、地球を搾取し、消費中毒にかかっているのであり」 [1]、 「我々は、地球の癌である。」 また、次のように述べている。「戦争において若者が死ぬことは一つの不幸な出来事ではあるが、人間が山脈や荒野に足を踏み込むことは、それと同じくらい深刻な問題だ。」[2] そして、人間が旱魃や飢餓に苦しむことは、一つの悲劇であるが、「他の生物やその棲息環境を破壊することは、それよりもはるかに悲劇的なことだ。」 [3]
環境保護主義は、実際、宗教になった。「地球を礼拝せよ」、「どのような犠牲を払ってでも環境を守らねばならない」と唱える新興宗教になった。「我々は、他者に対して親切で、思いやりがあり、彼らの必要に気を配らねばならない。しかし、地球を守ることはそれらのことよりも優先しなければならない。」 [4] また、「人間の幸せや繁栄よりも、野生のままの健全な地球を保つことのほうが重要だ。」 [5] 彼らは、地球を人間の手垢のついていない未開の原野にしようとしている。この運動の代表者は、次のように述べている。「我々はこれまで、あまりにも分別があり、おとなしくて、聞き分けがよすぎた。我々は怒るべきだ。人間という癌が地球に対して行っている悪行に対して我々の怒りをぶちまけ、妥協をやめるべき時なのだ。」[6]
この「癌」を治療するには、人口「削減」が一番である。アル・ゴアは次のように述べた。「地球環境にとっては、人口を安定させる以上に重要な目標はない。」[7]と。 ポール及びアン・アーリヒ夫妻は「地球を救うために誰でもできる最も単純で効果的な方法は、2人以上子どもを作らないことだ」[8]と述べた。人口爆発について、環境保護論者たちは、次のように尋ねた。「この地球上に住むすべての人間に十分な食料を与えることがどうして可能だろうか。狩猟や採集、自給自足の農業でも、今日の54億の人々を養うことすらできない。まして、さらにこれから40億人から90億人も増加するならば、今まで以上に食糧難が訪れることは必至だ。」[9]
しかし、統計上の数字を見ると、これらの「環境戦士」たちは単純な算数もできないのではないかという疑いが頭をよぎる。もしテキサス州の面積(678,615平方キロ)ほどの土地を現在の地球の人口の概数(54億人)で割るならば、地球のすべての人々に126平方メートルの土地を割り当てることができるということになる。これは少し狭すぎると思えるかもしれないが、他の土地にはまったく人がいないということを忘れないでいただきたい。
環境保護論者は「人間がいるところ、そこには必ず破壊がある。」と考えている。この考えは、ある意味において、間違いではない。というのも、人間は罪人だからだ。人間はエデンの園において最初の罪を犯したので、大きな苦しみを背負うことになった。すなわち、死を経験することになった。今日の、すべての人や民族は、自分の罪のために死ななければならない。人間は、環境について配慮することを忘れ、地球の資源をやみくもに使うだけの浪費家になってしまった。人間は好きなことを自由に行うことができると考える人々も、人間は絶滅すべきであると考える人々もどちらも間違っている。これらの考えはバランスを欠いている。我々は、創造者なる神への服従と献身によって良き管理者とならねばならない。
環境保護論者は、最近「地球温暖化」の警告を発している。これは、彼らが、自説を人々に受け入れさせるために採用した「恐怖作戦scare tactics」である。「温室効果」によって、地球は次第に温暖化しているという。大気中の二酸化炭素の増加により、宇宙空間に放射されるはずの地球表面に反射した太陽光が、二酸化炭素によって再び地上に跳ね返ってくるため、温暖化が進んでいると、彼らは主張する。破局を避ける唯一の方法は、大気中に放出されるCO2の量を測定し、それを調整することであると。
しかし、本当にそのような破局は存在するのだろうか。1970年代に、氷河期の到来を告げる人々がいた。地球は再び冷えていき、破局が到来するだろうと。しかし、それから10年も経たないうちに、科学者は地球温暖化について警告を発するようになった。彼らがまたもや間違った予言をしないと誰が言えるだろうか。ディクシー・リー・レイは、『環境による殺人』は次のように述べている。「産業革命以来、二酸化炭素の増加に伴ない、温室効果によって、過去100年の間に2度から4度は上昇するはずなのだが、実際は、0.5度以下に留まっている。」[10]
地球温暖化の恐怖とともに最近、「南極上空にオゾンホールが現われた」という警告が登場した。これらの「穴」は、大気中のCFCによって生成される(または、生成されると言われている)。そのため、多くのCFC(フロンガスなど)が使用禁止になり、多額の費用を投じて、代替ガスへの切り替えが行われている。しかし、我々の脳裏には一つの疑問が浮かぶ。「一体、オゾン層には、本当に『穴』が開いているのだろうか」と。ロバート・W・リーはこの事実を否定している。彼は、次のように語った。「オゾン層にそのような『穴』は存在しない。今まで存在したことはないし、これからも存在しない。なぜならば、オゾンは、様々な物理的・化学的原因によって、増えたり減ったりするから。そのほとんどは、全くの自然現象である」と。[11]
環境保護論者が、森林伐採や鉱山開発や他の大きな「有害」産業を否定している(しかし、そう言いながら彼らは、美しい木製の床を持つ大きな木造の家に住み、皮の靴をはき、専用ジェット機で飛び回っている)。これらの環境に関心を持つ人々は、「人間は、自らの祖先である動物たちに勝るものではないという事実を忘れてはならない。人間が彼らに対して傲慢に振舞ったために、この壊れやすい地球環境に取りかえしのつかないダメージを与えてきた」と信じている。デイビッド・ブラウアーは、ブリティッシュ・コロンビア州ホイッスラーにおいて旅行客に対して、「ニシアメリカフクロウ法によって職を失った木こり達は、私からすれば、ダッハウ収容所の焼却炉が閉鎖されたために職を失った人々となんら変わりがないように見える」と述べた。[12] 「地球第一!」の共同設立者であるデイブ・フォアマンは、これらの「搾取者たち」に対する戦いを彼個人の戦いと見なしている。彼は次のように述べた。「チェインソーが、2000年の歴史を持つコースト・レッドウッドの芯材を切断する音を聞くと、自分の内臓が切られている思いがする。ブルドーザーがアマゾンの熱帯雨林を切り進むのを見ると、私のわき腹が切り裂かれているように感じる。日本の捕鯨業者が大きなクジラにモリを打ち込むのを見ると、私の心臓が木っ端微塵に砕かれるように感じる。私は土地であり、土地は私である…。」[13] これらの環境保護論者たちは「産業を奨励する人々は気が狂っているのであり、地球が破壊される前に彼らのキチガイ沙汰を阻止しなければならない」と考えている。彼らは、それは善と悪の戦いであると見なしている。「母なる大地」を保護する戦いを、彼らの祖先が自由のために戦った戦いになぞらえている。木こりたちが、環境保護論者の[陰湿な]妨害の方法について苦情を述べた時に、フォアマンは、次のように応答した。「[木こりの側は]『フェアプレイ』を要求している。もちろん、我々は、アメリカ革命の時のことを思い出さねばならない。イギリス人は、アメリカの反逆者たちの戦い方はフェアではない、と言った。つまり、アメリカ人は、木の陰に隠れて弾をよけるが、それは卑怯なやり方だと。男なら堂々と胸を張って出て来い、と。イギリス兵たちは、ワシントンの兵隊たちを臆病者呼ばわりした。今日、木こりたちが環境保護の活動家を卑怯者呼ばわりするのと同じように。」[14]
この運動は、今日の若者達がどうしてこれだけ困難を抱えているか理由を説明できると主張する。ゴアは、このように言う。「工業文明は、その興奮と熱狂の中で、我々の奥深い孤独を覆い隠している。我々は、精神を高揚させ、心を豊かにし、生命そのものを身近に感じさせる自然との交わりがないために孤立感を深めている。…このような[自然に対する]喪失感の証拠は、数多くある。多種多様な精神的疾患は、あたかも伝染病のように広がり、とくに、子ども達の間で顕著である。青少年の3大死因は、ドラッグやアルコール関連の事故、自殺、そして、殺人である。」[15]
我々が彼らと対抗して勝つことができるには、どうしたらよいだろうか。これらの人々が誠実であるかどうかということはもはや問題ではない。問題は、彼らがどこからやって来たかを知ることである。彼らは、地球を崇拝し、人口抑制という名のもとに、多くの人々(ただし、自分たちを除く!)を犠牲としようとしている。彼らは、「環境管理」という美名の下に隠れて、巨大産業や繁栄する文明を滅ぼそう(sacrifice)としている。これこそが、「緑の宗教」の正体なのだ。
もはや妥協は許されない。もはや大地を地球崇拝者の手に渡すことはできない。今こそ、神の導きに頼って、勇敢に戦うべき時である。我々が崇拝すべきは、被造物ではなく、創造者である。我々は、大地に支配されるのではなく、大地を支配すべきなのである(創世記1・28)。大地から人間の生命を消し去るのではなく、大地を人間の生命で満たさねばならない(創世記9・1、7)。我々は、神が我々に委ねられた資源を賢く管理する者とならなければならない。
1 Albert Gore, Earth in the Balance, 220. ゴアは、前民主党上院議員であり、現副大統領。
2 David Brower, cited in Dixie Lee Ray, Environmental Overkill, 204. ブラウアーは、「地球の友」の創設者であり、「シエラ・クラブ」の前会長。
3 Dave Forman, The Confession of an Eco-Warrior, 26. フォアマンは、「地球第一!」の共同設立者。
4 ibid., 26.
5 David M. Graber, cited in, Ray, Dixie Lee, Environmental Overkill, 204. グレイバーは、国立公園局で生物調査スタッフ。
6 Forman, 20.
7 Gore, 307.
8 Paul and Anne Ehrlich, Healing the Planet, 3. ポールは、スタンフォード大学の人口学教授及び生物学教授。アンは、スタンフォード大学の生物学主席准教授。
9 ibid., 269.
10 Ray, 17. レイは、ワシントン州前知事、原子エネルギー委員会委員長、米国海洋局次官であり、国連平和賞を含む数々の賞を受賞してきた。
11 Robert W. Lee, "Ozone 'Hole': The Prize Eco-Scam," The New American, July 26, 1993, 7
12 David Brower, cited in Dixie Lee Ray, Environmental Overkill, 104.
13 Forman, 5.
14 ibid., 160.
15 Gore, 220
―――――――――
リサ・タンナーは、17才のホームスクーリングの生徒である。連絡は、P.O. Box 613, Bonners Ferry, ID 83805まで。
Lisa Tanner, A Look at the New Green Religion, in Chalcedon Report, Sep. 1997.の翻訳。
This translation was conducted by the permission of Chalcedon.