安楽死について
> オレゴン州では寿命が半年以下と診断された病人に限り、
> 法律で「自殺ほう助」が認められています。
> 人が自分で薬を飲んで自分の人生に終止符を打つということは
> キリスト教からみて、どういうことなのでしょうか。
「血を食べてはならない。」や、「血のさわりのある女と寝てはならない。」という律法があります。
それは、「血はいのち」であり、いのちは神に属するものだからです。
血はいのちを象徴しており、血は、祭壇の前または回りにすべて注ぎ出さねばなりませんでした。
いのちは、人間のためにあるのではなく、神のためにあるという思想がここで表現されています。
人間が勝手にいのちを取ることは、すべて殺人と定義されていますので、安楽死もこれに属すると考えています。
人工中絶と、安楽死は、互いに連動していて、胎児の命を奪うことが合法化されれば、安楽死が合法化されるのは時間の問題です。
根底には、「人間は、神の規範と離れて何でも決定できる。」というヒューマニズムの「自律思想」があります。
ヒューマニズムにおいては、所有であれ、教育であれ、経済であれ、性であれ、あらゆる領域の事柄は、人間が人間のために人間のものとして決定できるわけですから、生死の問題についても、自律的に決定することになるでしょう。
神の目には、年間500万もの堕胎中絶を行うのは、500万ものユダヤ人を毎年ガス室に送ることと変わりはありません。
堕胎であれ大量虐殺であれ安楽死であれ、「血を食べてはならない。血はいのちだから。」という御言葉に対する挑戦であると考えられます。